東葛印旛大師粟野千寿坊10・南佐津間宝泉院41・軽井沢薬師堂16・掛所/初富稲荷神社12番・掛所ポタリング

東葛印旛大師粟野千寿坊10・南佐津間宝泉院41・軽井沢薬師堂16・掛所/初富稲荷神社12番・掛所ポタリング

鎌ケ谷地域

東葛印旛大師88ポタリング
今回は鎌ケ谷地域

鎌ケ谷地域は、
4つの地区がある。

その4つの地区に、
合わせて4つの札所と2つの掛所がある。

鎌ヶ谷地域
(1)南佐津間地区
  ①宝泉院 41番札所
(2)粟野地区
  ①千寿坊 10番札所
(3)軽井沢地区
  ①薬師堂(自治会館) 16番札所
  ☆中村善並大師 掛所
(4)初富地区
  ①稲荷神社 12番札所
  ☆一文字大師堂 掛所

鎌ケ谷地区は一気に札所・掛所だけ巡ったので、
巡った順に一気にアップ

粟野千寿坊10番札所

粟野地区千寿坊

先ずは、
粟野地区

粟野地区は、
地図だとこんな感じ。

10番札所のある粟野千寿坊は、
佐津間地区宝泉院の堂庵だったようだが今では使われていない。

大師堂と、
その周辺にいくつかの石仏があるだけだ。

粟野地区千寿坊

破損しているものが殆どだが、
これはちゃんと残っている。

寛政十二年(1800年)
十九夜塔

粟野地区千寿坊

昭和二年(1927年)
光明真言供養塔

粟野地区千寿坊

それで、
実際の四国八十八所霊場での第10番切幡寺

粟野地区千寿坊

所在地:徳島県阿波市市場町切幡
創建:(伝)弘仁年間(810年 – 824年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:得度山
院号:灌頂院
寺号:切幡寺
宗派:高野山真言宗
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる

南佐津間宝泉院41番札所

南佐津間地区宝泉院

続いての南佐津間地区は、
地図だとこんな感じ。

南佐津間地区宝泉院

この地区の瑠璃山宝泉院放光寺には、
41番札所がある。

南佐津間地区宝泉院

大師堂周辺には、
元治元年(1864年)の十九夜塔

南佐津間地区宝泉院

大正八年(1919年)
光明真言供養塔

南佐津間地区宝泉院

これって回すと、
全ての霊場を巡ったことになるやつなんだろうな。

南佐津間地区宝泉院

それで、
実際の四国八十八所霊場での第41番龍光寺

南佐津間地区宝泉院

所在地:愛媛県宇和島市三間町戸雁
創建:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:稻荷山
院号:護國院
寺号:龍光密寺
宗派:真言宗御室派
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:この神は 三国流布の密教を 守り給わむ 誓いとぞ聞く

軽井沢薬師堂16番札所/中村善並大師掛所

軽井沢地区薬師堂

更に、
軽井沢地区

軽井沢地区は、
地図だとこんな感じ。

この軽井沢地区には、
薬師堂16番札所と中村善並大師掛所がある。

軽井沢地区薬師堂

薬師堂は、
大師堂と大師結願供養塔くらいしかない。

軽井沢地区薬師堂

それで、
実際の四国八十八所霊場での第16番観音寺

軽井沢地区薬師堂

所在地:徳島県徳島市国府町観音寺
創建:(伝)天平13年(741年)
開基:(伝)聖武天皇(勅願)
山号:光耀山
院号:千手院
寺号:観音寺
宗派:高野山真言宗
本尊:千手観音
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:忘れずも 導きたまへ観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ

中村善並大師掛所平成二十七年の東葛印旛大師八十八カ所霊場順路手引において、
新たに加えられたものらしいがナゼ?なのかはわからない。

軽井沢地区中村善並大師掛所

大師堂もないようだし、
何か大人の事情でもあるのだろうか?

ちなみに、
道路を挟んだレストランはぜんなみだ。

初富一文字大師堂掛所

初富地区一文字大師堂掛所

最後に、
初富地区

初富地区は、
地図だとこんな感じ。

初富地区は先ず掛所
一文字大師堂

多分厳密には、
くぬぎ山地区なんだろうけど境界線上あたりだからそのままで

初富地区一文字大師堂掛所

御詠歌札があって、
四国より初富里へ影うつし仰げば〇〇〇伊予の笹山

これって、
ここのオリジナルなんだろうか?

初富地区一文字大師堂掛所

石塔がある。

初富地区一文字大師堂掛所

新四國八十九番建立八十周年記念と昭和三十七年二月二十一日の真ん中には、
南無大師遍照金剛

これって、
ここが番外89番ですよと言っているわけなのかな?

昭和三十七年(1662年)で80周年だから、
明治十五年(1882年)建立ということか?…わからない。

初富稲荷神社12番札所

初富地区稲荷神社

初富稲荷神社は、
東葛印旛大師12番

初富地区稲荷神社

初富稲荷神社の由緒を語った、
説明板がある。

初富地区稲荷神社

初富稲荷神社
御祭神 京都伏見稲荷大社
宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四之大神

創建 明治二年(西暦一八六九年)
社殿様式普通宮造 木造瓦葺
本殿拝殿 昭和四十一年 創建百年祭記念再建

御神徳由緒
初富稲荷神社は、
初富地区開拓と共に、
当地区の御守護と繁栄を願い、
山城の国(現京都市伏見区)の、
伏見稲荷大社より、
御分神を遷奉申し上げ、
氏神様として御鎮座、
戴き時に、
明治2年(1869)稲荷大神は、
衣食住の大祖神として、
五穀豊饒と又あらゆる産業の繁栄を拾い、
物品の売買を盛んにし、
商売繁昌の御神徳は、
お稲荷様と云われる程です。
高徳なるお祭神を氏神様に穀いて居る各位には、
家族供子孫の繁栄の為、
信仰の原点、
氏神信仰の道に精進され御神徳を頂いて下さい。
旧初富の地名の総鎮守様です。

平成十二年六月
遷奉

初富稲荷神社説明板

あと、
鎌ヶ谷市史資料の説明板

鎌ヶ谷市史資料

市指定文化財
有形文化財

指定年月日 平成31年3月26日
所在地 鎌ケ谷市郷土資料館

明治時代になり、
新政府は、
東京で窮民となった武士や町人らに対して、
その対策と首都の治安維持を目的として、
房総北部にあった旧江戸幕府の牧を開墾することを計画しました。
鎌ヶ谷市の「初富」という地名は、
その最初の開墾地ということと、
開墾地が豊かになるように祈りを込めて付けられた名称です。
そして、
政府が設置した開墾局と開墾を請け負った開墾会社の監督のもと、
東京から入植した窮民らによって開墾事業は進められていきました。
しかし、
開墾人たちの生活は大変厳しく、
3年間保障されるはずだった食料の配給は、
次第に支給を減らされました。
また、
毎年のように来る台風で農作物や住居も大きな被害を受け、
病気等で多くの大人や子どもが亡くなるなど苦労の絶えないものでした。
こうした状況の中でも、
近隣の粟野村の人々が相撲興行を初富稲荷神社で行うなどして励ましたり、
開墾人同士で農業の学習を行うなどして支え合って生活していました。
一方、
事業は開墾会社の解散により、
明治5年(1872)に終焉を迎えますが、
開墾人たちが与えられた土地以外の開墾地の多くは開墾会社社員に分配されてしまい、
この土地の所有権を巡って両者の間で裁判も起こっています。
市内には前述の土地の所有権を巡る裁判記録など、
開墾事業の様子やその後の状況を伝える歴史資料が多数残っています。
いずれも初富開墾の歴史を知る上で欠かせない資料であることから、
市の指定文化財に指定されました。

令和2年11月 鎌ケ谷市教育委員会

鎌ヶ谷市史資料説明板
初富地区稲荷神社

境内には、
大師堂以外にもいろいろある。

古峯神社と、
天満宮

初富地区稲荷神社

子安観音と、
お地蔵様

初富地区稲荷神社

庚申塔結願供養塔などなども、
並んでいる。

さて、
東葛印旛大師

初富地区稲荷神社

それで、
実際の四国八十八所霊場での第12番焼山寺

初富地区稲荷神社

所在地:徳島県名西郡神山町下分字地中
創建:(伝)弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:摩蘆山
院号:正壽院
寺号:燒山密寺
宗派:高野山真言宗
本尊:虚空蔵菩薩
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
御詠歌:後の世を 思へば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
鎌ケ谷地域

先ずは粟野地区の千寿坊10番札所
続いて南佐津間地区の宝泉院41番札所。

更に、
軽井沢地区の薬師堂16番札所と中村善並大師掛所

そして、
初富地区の一文字大師堂掛所と稲荷神社12番札所

以上、
4つの地区の4つの札所と2つの掛所46枚の写真でお届けしました。

東葛印旛大師10・41・16・中村善並大師/一文字大師堂掛所・12番ポタリングMAP

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