小名内地区
ここまでの東葛印旛大師は、
こちらを見ていただくとして。
今回は、
前回の名内地区に続いて白井市域の4つ目になる小名内地区。
ただ小名内地区と言っても、
名内地区の中に属しているみたいだ。
その小名内地区には、
2つの札所と1つの掛所がある。
小名内地区
①稲荷神社 37・45番札所
☆梶原大師堂 掛所
中地区の石像物
その前に寄り道で、
中地区の庚申塔。
中地区には札所や掛所や元札所はないが、
小名内地区から富塚地区に行く間にいくつかの石像物を見つけることができる。
例えば、
これ。
道の脇に階段があって、
その先に石造物が並んでいる。
一番左にあるのが、
元禄九年(1696年)の如意輪観音十九夜塔。
その隣が、
天保十年(1839年)の子安観音塔。
安永五年(1776年)と寛延四年(1751年)の如意輪観音十九夜塔と、
年不明の首のない聖観音塔。
更に年不明の如意輪観音十九夜塔が4基、
享和二年(1802年)の西國四國供養塔。
この道を進んだ突き当りには、
道標がある。
上に左右を指す矢印があって、
その右下は金山云々左下は名内橋云々と読める。
側面には、
中邑の文字も。
このスタイルの道標は、
多分初めて見た。
右の道を行って大きな通りに出るところにあるのは、
普門品供養塔かな。
こういうのを目的ではなくたまたまで見つけるのは、
やはり面白い。
掛所 梶原大師堂
先ずは、
掛所の梶原大師堂。
梶原大師堂の梶原は、
梶原さんが再建した大師堂だからこう呼ばれるのだろう。
大師堂の台座にあるプレートに、
施主として梶原さんのお名前があった。
大師堂の手前には、
足形がある。
この足形を踏むと、
実際に四国霊場に行ったことと同じ功徳を得られるとかいう感じだろうか?
四国八十八ヶ所お砂ふみという標石があるから、
多分そうなんだろう。
小名内稲荷神社
梶原大師堂からすぐのところに、
37・45番の稲荷神社がある。
鳥居右には、
石像物がアレコレと並んでいる。
宝暦七年(1757年)、
道祖神の石祠。
天保十五年(1844年)、
手水鉢。
文政六年(1823年)、
文字庚申塔。
嘉永四年(1851年)、
文字庚申塔。
元文元年(1736年)、
合掌型の青面金剛塔。
天保十一年(1840年)、
文字庚申塔。
宝永七年(1710年)、
合掌型青面金剛塔。
享和元年(1801年)文字青面金剛塔、
左は削られてしまっているけど猿田毘古だろう。
宝暦十二年(1762年)と、
享保三年(1718年)の文字青面金剛塔。
その他、
文字庚申塔。
子安像塔。
伊勢参宮記念碑に三山参拝記念碑に、
蛭子太神宮塔や石祠などなど。
その先には、
稲荷社。
小名内稲荷神社東葛印旛大師37・45番
境内左側には、
東葛印旛大師45番の大師堂と37番と一緒に聖観世音菩薩が祀られているお堂。
聖観世音菩薩が祀られている方にも、
御詠歌札がある。
45番の標石は、
2つのお堂の間にある。
実際の四国八十八所霊場での第45番は、
岩屋寺。
所在地:愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥
創建年:(伝)弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:海岸山
寺号:岩屋寺
宗旨:真言宗豊山派
本尊:不動明王
真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
御詠歌:大聖の いのる力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある
37番の標石は、
お堂の右にある。
実際の四国八十八所霊場での第37番は、
岩本寺。
所在地:高知県高岡郡四万十町茂串町
創建年:(伝)天平年間(729年 – 749年)
開基:(伝)行基、聖武天皇(勅願)
山号:藤井山
院号:五智院
寺号:岩本寺
宗旨:真言宗智山派
本尊:不動明王/聖観世音菩薩/阿弥陀如来/薬師如来地蔵菩薩
真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
御詠歌:六つのちり 五つの社 あらわして ふかき仁井田の 神のたのしみ
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域の小名内地区。
最初に、
中地区にある石像物をあれこれ。
掛所になっている梶原大師堂 と、
東葛印旛大師第37番と第45番のある小名内稲荷神社でした。
東葛印旛大師第37・45番ポタリングMAP
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