富塚小金牧の牧士資料と掛所大下太子堂・中下大師堂と西輪寺東葛印旛大師大24・55番ポタリング

富塚地区西輪寺

富塚地区

ここまでの東葛印旛大師は、
こちらを見ていただくとして。

今回は、
前回の小名内地区に続いて白井市域の5つ目で最後となる富塚地区

富塚地区は、
こんな感じ。

富塚地区には、
2つの札所2つの掛所がある。

富塚地区
  ①西輪寺 24・55番札所
  ☆大下太子堂 掛所
  ☆中下大師堂 掛所

小金牧の牧士資料

小金牧の牧士資料一括の石碑

富塚地区を自転車で巡っていた時に、
こんな石碑を見つけた。

昭和五十一年十二月十二日
千葉県有形文化財第百四十六号指定
小金牧の牧士資料一括
千葉県教育委員会

とある。

小金牧は、
古くから馬の牧(自生馬の放牧飼育地)だったところ。

その牧の管理者が牧士で、
この家の川上家(4代に渡り牧士や同見習に任ぜられた家)に残されていた牧士の資料のことらしい。

その数は14,816点もあるらしく、
一部は白井市郷土資料館で展示されているみたいだ。

掛所 大下太子堂

富塚地区大下大師堂

さて、
富塚地区掛所の1つ目の大下太子堂

江戸時代の天明期、
大出水が富塚村を襲った。
利根川の側の土手が決壊したため、
木造の太子像流れ着いた。
元の像の所在地に届けたが、
また洪水がおき、
川に浮き沈みしている太子像を救い上げ、
富塚の木下に太子堂を建て祀ったと伝えられている。

白井第二小学校区「宝物マップ」
富塚地区大下大師堂

右手に、
掛所のお堂

札には、
一心戒文
伝教大師
道心の中に
衣食あり
衣食の中に
道心なし

お堂の右奥には、
本四國八十八ヶ所巡拝記念碑 人生は遍路なり 西輪寺第四十世 沙門眞良 謹書と刻まれた石碑

左には、
元治二年(1865年)札所巡礼塔

富塚地区大下大師堂

秩父/坂東/新四國八十八箇所/新西國供養塔
と刻まれている。

その上部には大師像如意輪像
というのは初めて見たかもしれない。

富塚地区大下大師堂

掛所のお堂には、
掛所であることを示す石板がある。

大下番外掛所
空海の心のうちに咲く花は弥陀より外に知る人も無し

その先には、
手水鉢に六道能化地蔵尊に力石

富塚地区大下太子堂

正面の本堂奥には、
宝永六年(1709年)と昭和五十五年(1990年)の地蔵尊

富塚地区大下太子堂

掛所 中下大師堂

掛所中下大師堂

もう一つの掛所が、
中下大師堂

こちらは、
西輪寺のすぐ近くにある。

手前には、
天神社

掛所のお堂の台座には、
天台宗総本山比叡山延暦寺座主慈鎮和尚の歌が刻まれたプレート

中下番外掛所
有難や 高野の山の岩かげに 大師はいまに おわします

掛所中下大師堂

富塚西輪寺

富塚地区西輪寺

正式には、
急雨山 圓乗院 西輪寺

文禄二年(1593年)
相馬治少輔平胤吉が海東八郎延高とその子急雨丸延乗の菩堤を弔ったことが開基とされる。

後に慶安年間上野寛永寺の僧豪胤が再建して、
延乗の名を以て急雨山圓乗院西輪寺と称したようだ。

富塚地区西輪寺

山門手前に、
白井市指定有形文化財 木造聖徳太子立像の説明板があった。

富塚地区西輪寺

白井市指定有形文化財(彫刻)
木造聖徳太子立像
所在地 富塚字上九〇五番地
管理者 宗教法人西輪寺
指定年月日 平成十八年十一月七日

西輪寺太子堂に祀られる本尊である。
髪は美豆良を結い、
両手は柄香炉を持つ。
衣の上には袈裟を身に着け、
足には沓を履く。
像高は一〇二・五cm、
体部は桧材による寄木造、
目は玉眼を嵌め入れ、
全身に色彩を施す。
木造の形は「孝養太子像」と呼ばれ、
聖徳太子が一六歳の頃、
父である用明天皇の病の平癒を願う姿とされている。
本尊は、
無理の無い自然な姿勢や、
現実感のある顔立ち、
無難な衣さばきなど、
像の構造や造形から見て、
南北朝時代、
十四世紀の制作と考えられる。
富塚地区には「村雨丸伝説」という伝説が残され、
江戸時代には本像が篤い信仰を集めていたことで知られる。
本像は当地の太子信仰を伝える作例として、
また、
市内に残る唯一の中世太子像として、
本市の文化史上貴重なものである。
※原則非公開

平成二十一年十二月十八日 白井市教育委員会

木造聖徳太子立像説明板

その木造聖徳太子立像が祀られている太子堂は、
本堂右にある。

富塚地区西輪寺

山門の前、
左には年不明の丸彫地蔵尊東葛印旛大師組合結願記念碑2基

富塚地区西輪寺

山門西輪寺の石柱の右にも、
4基の石塔が並んでいる。

富塚地区西輪寺

文政七年(1824年)
新四国札所霊場塔

富塚地区西輪寺

寄進記念碑と、
嘉永六年(1853年)三山大権現石碑

富塚地区西輪寺

昭和二十五年(1950年)
文字馬頭観世音塔

富塚地区西輪寺

山門を入って境内右には比叡山参拝記念碑など、
いろいろ。

富塚地区西輪寺

ほうきを持ったお掃除小僧さん、
ちょっと目が怖い。

富塚地区西輪寺

右手奥には、
しろい七福神寿老人

富塚地区西輪寺

更に先には、
子安塔

山門入って左手には昭和十四年(1939年)光明真言塔に、
明和五年(1768年)と延宝五年(1677年)の十九夜塔年不明の金剛界大日如来像

富塚地区西輪寺

富塚西輪寺東葛印旛大師第24・55番

富塚地区西輪寺

さて、
ここ西輪寺東葛印旛大師第24・55番

1つのお堂の中に、
2つが一緒になっている。

富塚地区西輪寺

台座のところには、
土佐の国二十四番札所最御崎寺移 伊豫の国五十五番札所南光坊別宮移とある。

富塚地区西輪寺

そんなわけで、
実際の四国八十八所霊場での第24番最御崎寺

富塚地区西輪寺

所在地:高知県室戸市室戸岬町
創建年:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師)
山号:室戸山
院号:明星院 
寺号:最御崎寺
宗旨:真言宗豊山派
本尊:虚空蔵菩薩(秘仏)
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
御詠歌:明星の 出ぬる方の 東寺 くらき迷いは などかあらまじ

実際の四国八十八所霊場での第55番は、
南光坊別宮

富塚地区西輪寺

所在地:愛媛県今治市別宮町
創建年:(伝)推古天皇御代2年甲寅(594年)
開基:行基
山号:別宮山
院号:金剛院 
寺号:中本寺
宗旨:真言宗御室派
本尊:大通智勝如来(秘仏)
真言:おん あびらうんけん ばざら だどばん (なむ だいつうちしょうぶつ)
御詠歌:このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても 同じ垂迹

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域最後となる富塚地区

千葉県指定有形文化財
小金牧の牧士資料。

掛所になっている、
大下太子堂と中下大師堂。

そして、
東葛印旛大師第24番と第55番のある急雨山圓乗院西輪寺でした。

東葛印旛大師第24・55番ポタリングMAP

過去分1はこちら

過去分2はこちら

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他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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