柏呼塚常夜燈と東葛印旛大師第4番ポタリング

東葛印旛大師札所第4番

2022/11/9更新…写真追加&差し換え&加筆

東葛印旛大師巡り Overture

平将門スポットをアップしていた時に、
ああそうだったなと思い出したのが東葛印旛大師のこと。

以前に別の場所で、
この四国霊場を模した八十八ヶ所の札所を自転車で巡っていたことを書いていたことがあるのだ。

ただ、
実は途中で挫折したまま。

それは記事だけではなくて、
巡ることもだ。

四国八十八箇所
四国にある空海ゆかりの88ヶ所の仏教寺院の総称のことで、
四国の神仏の霊験あらたかな場所=霊場の最も代表的な札所。
ここを巡礼することを四国遍路とか遍路と呼ぶ。
内訳は、

・阿波国(現・徳島県…発心の道場23ヶ寺
・土佐国(現・高知県)…行の道場16ヶ寺、
・伊予国(現・愛媛県)…菩提の道場26ヶ寺
・讃岐国(現・香川県)…涅槃の道場23ヶ寺

書いた記事はもう全て消してしまったけれど、
改めて訪れてここに少しずつ記していこうかなと考えている。

ただ前回の時のように、
写しの札所だけを巡っていくだけでは挫折して途中で止めてしまうかもしれない。

なので、
今回は関係のない周辺スポットも一緒に周ろうと思う。

あとは、
そこに在るものが何なのか?を少し知りながら進みたい。

前回は、
ただ巡るだけでそこに在る石祠や標石や石仏や石塔などなどはあまり気にしなかった。

気にはなったけれど、
あまり知ろうともせずに巡ってしまった。

何しろ、
四国八十八箇所❓の4つの道場のこともわからないわけで。

4つの道場

八十八所の札所は、
弘法大師が密教の曼荼羅の世界を投影したという思想から、
それぞれを発心・修行・菩提・涅槃の道場に分けられている。

阿波国(現・徳島県)は発心の道場で、
菩提を求める心、
仏教に帰依しようとする心を起こすこと。
土佐国(現・高知県)は修行の道場で、
心身ともに仏道を身につけて善行を積むこと。
伊予国(現・愛媛県)は菩提の道場で、
煩悩を断ち切り悟りの境地に達すること。
讃岐国(現・香川県)は

煩悩が消え、
悩みや束縛から脱した安楽の境地になること。

こういうことをお勉強しながら進むのは、
多分面白いしより楽しくなっていくに違いない。

というわけで、
先ずはとにかく始めてみよう。

東葛印旛大師

毎年、
GWの5日間

鎌ケ谷・柏・松戸・白井に分布する八十八の札所・十六の掛所四国八十八箇所巡礼の札所に見立て、巡行・巡拝する行事があるのを知ったのはいつ頃だろう?

その一行にボクは出会ったことはないけれど、
この行事が准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝というものだ。

各札所が旧東葛飾郡と旧印旛郡の2郡にまたがっていることから、
この名前が付いたみたいだ。

この地方における最大規模の民俗行事で、
宗派の枠を越えて行われている

そもそもこの巡行・巡拝が始まったのは、
文化4年(1807年)とか文政5年(1822年)とか言われている。

文化4年(1807年)は、
この東葛印旛大師の前身である下総四郡大師ができた時。

下総四郡大師は、
千葉郡(西部)・葛飾郡・相馬郡・印旛郡(西部にある大師堂を巡る札所だったみたい。

やがてその下総四郡大師が分裂して、
東葛印旛大師として再構成されたのが文政5年(1822年)らしい。

どちらにしても、
既に200年もの歴史があるわけだね。

江戸時代四国八十八ヶ所霊場を模した各札所のご本尊さまと
お砂を安置するうつし霊場やお砂踏み道場などが日本全国に数多く造られた時代。

これもその1つなんだけど、
未だに巡拝続いている例はもう随分と少ないみたいだ。

そんな巡礼と同じように、
気軽に自転車で八十八ヶ所を巡るのは如何なものか?

そもそも地図を見ながら1つひとつ発見していくのは、
ゲーム感覚で楽しいというのは少しばかり不謹慎か?

などと思ったりもしたけど、
巡礼が行われるGW中でもないし周りに迷惑をかけることなく進めばまあありかなということで。

カジュアルな88巡りなら、
関心を持つ方の範囲も少しは拡がるかもしれない。

そんなわけで、
先ずはキッカケとなった第4番から始めてみる。

それに1番から順番に巡るというのは、
東葛印旛大師では写しの札所がバラバラだからちょっとその気にはならないのだ。

キッカケは呼塚常夜燈

呼塚常夜燈

自転車で手賀沼を1周する際、
いつも休憩する場所がある。

大堀川

手賀沼ふれあい緑道の端っこ、
道を挟んだところに広場がある。

大堀川リバーサイドパーク

手賀沼に注ぐ、
大堀川に架かる北柏橋があるところだ。

北柏橋

大堀川リバーサイドパークの端っこ、
そこにあるベンチで一休みするのだ。

ベンチ

その広場の脇に何かがある感じで、
アレはいったい何だろう?と覗いてみたのがこの88巡りの最初のキッカケ。

呼塚常夜燈と東葛印旛大師第4番大師堂全景

実際にここを発見したのは、
もう10年以上も前のことだ。

呼塚常夜燈

そこには、
常夜燈があった。

常夜燈
現在で言う街灯の役目を果たしていて、
街道の道標として設置されているものが多い。
集落の中心や神社などの常夜灯は、
信仰の対象として設置されている。

呼塚常夜燈

呼塚常夜燈

呼塚は、
よばつかと読む。

この呼塚常夜燈は、
宮立型とか宮前型とか言う形状。

竿石(くびれた部分)正面には、
横書きで成田山とありその下に縦書きで常夜燈とある。

呼塚常夜燈

竿石の下の台座には月参(參)とあり、
その下の段には講中東斎敬書とある。

呼塚常夜燈

東斎敬さんが誰か?
はわからない。

成田山の文字は常夜燈右下の、
標石にもある。

呼塚常夜燈

側面には、
武州幡羅郡奈良…これも良くわからない。

呼塚常夜燈

ちなみに武州は武蔵国(埼玉県)の別称で、
幡羅郡はそこに在った群で奈良村があったようだけど。

呼塚常夜燈

常夜燈の竿石の他の面には、
天下泰平・五穀成就・村々安全

更に下の段には、
この常夜燈を寄進した人たちの名前が刻まれているが読み取れないものが多い。

〇〇右エ門っていうのが、
多かった気がする。

正面の火袋石の火口は、
小さい3つの円。

呼塚常夜燈

この常夜燈
元々はここにあったわけではなくて少し離れた場所にあったらしい。

呼塚河岸と常夜燈案内板

そのあたりのことは、
敷地内にある案内板に詳しく書かれている。

これがあったから、
こういうものに興味を持ったと言っても良いだろう。

🔶呼塚河岸と常夜燈

江戸時代、
この脇を流れる大堀川に河岸がありました(現在の常磐線と国道六号線の間)。

この場所は、
成田詣や佐原、
銚子方面との往来に旅人や荷物を積んだ船が横づけされた所です。

呼塚河岸に着く荷物は米が主要で、
その他は小麦、
材木、
肥料などもありました。

秋になると白い帆をいっぱいふくらませた高瀬舟や「さっぱ舟」と呼ばれる小さな船が手賀沼岸の村々から新米を積んでひっきりなしに往来していたようです。

ここに移設された常夜搭は元々船着場付近にあったもので、
幕末の慶応元年(1865年)に根戸や呼塚の人たちを中心に近隣10ヶ村の有志によって建てられました。 

高さ4メートル余りの市内に残る常夜搭では最大のもので、
船の往来や旅人の目印として重要な役目を果してきたものです。

平成28年3月31日 柏市教育委員会 呼塚河岸と常夜燈 案内板

ここにそんな風景があったなんて、
今となっては想像もつかない。

でもこの説明をもとに少し想像してみるだけでも、
何だか楽しくなってくる。

呼塚常夜燈

説明文の横には、
昭和13年頃の旧街道に建つ呼塚大橋とその先の常夜燈の写真が掲載されている。

藁葺屋根の民家の手前、
街道の脇に確かにそれは建っている。

この写真、
よく見ると水面が橋すれすれまで増水していることがわかる。

当時は利根川が増水すると手賀沼も増水して、
その上流である大堀川でも水が溢れていたらしい。

なのできっとこれは、
そういう時の写真なんだろう。

この写真をもう少し調べてみると、
ここに掲載されているものは左側が切り取られているようだ。

切り取られた部分には浸水した民家が写っていて、
その奥には常磐線の築堤らしきものも見える。

いずれにしても、
当時の風景の名残りはどこにもない。

ただその時代も見続けた常夜燈だけが、
辛うじて移設されて残っている。

東葛印旛大師第4番

呼塚常夜燈と東葛印旛大師第4番大師堂

そんな常夜燈の手前にあるのが、
東葛印旛大師第4番札所呼塚大師堂

新四国相馬霊場八十八ヶ所が本当のキッカケ

この東葛印旛大師以前に、
違う88巡りをしたことがあった。

そのキッカケは、
やはり手賀沼沿いの我孫子側にある滝前不動堂新四国相馬霊場八十八ヶ所36番だ。

36番があるんだから、
当然1~35番まではあるのだろう。

では、
37番以降何番まであるのだろう?

それで調べた結果、
88あることがわかった。

これを自転車で巡るのは何となく面白そうだぞ、
で始めたのが本当の始まり。

それが、
今度は別のものをこの呼塚常夜燈で発見したわけで。

そうなると、
また巡ってみようかなと思うのは必然だったのだ。

四国八十八所霊場の第4番札所

実際の四国八十八所霊場に於ける第4番札所は、
大日如来が本尊の大日寺

大日如来
如来は真理に到達した、
あるいは悟りを開いた仏。
如来になるために修行をしている仏が菩薩。
大日如来は仏教の一種である密教では、
宇宙の根源をなす中心的な仏として信仰された。
大日如来の『智』の面を表したのが金剛界の大日如来で、
『理』の面を表したのが胎蔵界の大日如来。

屋根下にある御詠歌額には、
昭和7年(1932年)と書かれている。

御詠歌

僧侶ではない一般の信者が、
寺院や霊場巡礼の際に唱える歌のこと。
多くは三十一文字からなる和歌に節をつけたもの。
一般的に鈴や鉦を鳴らしながら詠唱する。

90年も昔のものだけど、
文字は彫られたものなのでまだ読み取ることができる。

東葛印旛大師第4番札所

四国八十八所霊場第4番札所

所在地:徳島県板野郡板野町黒谷
創建年代:(伝)弘仁6年(815年)
開山:(伝)空海(弘法大師)
山号:黒巖山
院号:遍照院
寺号:大日寺
宗派:東寺真言宗
本尊:大日如来
真言:おん あびらうんけん ばざら だどばん
御詠歌:ながむれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷に すみぞめの袖

東葛印旛大師第4番標石と手水鉢

札所を示す標石が、
まだ新しい手水鉢の脇に残っている。

手水鉢

手を洗い口をすすいで清める水、
手水をためておく鉢のこと。

ただ第四番
くらいしか読めない。

随分と刻まれた文字が読みにくくはなっているけど、
側面に文政七年甲申歳とあるんだから当たり前だ。

文政七年といえば1824年なわけで、
もう200年も前のこと。

それがこうやって、
野ざらしにされていてもちゃんと残っていてまだ読み取れるのだからある意味スゴイ。

開発された周辺をよそに、
この一区画だけはまるで全く違う時が流れているかのようだ。

東葛印旛大師第4番大師堂脇の水神宮石祠

大師堂の脇には、
水神宮の石祠がある。

東葛印旛大師第4番大師堂脇のお地蔵様

移築記念碑を挟んだ横には、
お地蔵様

東葛印旛大師第4番大師堂脇のお地蔵様

ちゃんと赤い頭巾と涎掛けが着けられ、
お花も供えられている。

というわけで…

今回から始まった、
東葛印旛大師88ポタリングシリーズ第一弾

先ずはキッカケとなった東葛印旛大師第4番と、
同じ敷地内にある呼塚常夜燈

この先どうなるのか?
はわからないが取り敢えず始めてみた。

なんでもそうだが始めなければ、
当たり前だけど何も始まらないのだ。

始まらなければ、
何も進まないということだ。

東葛印旛大師第4番札所ポタリングMAP

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