藤心道標と塩の道・陣屋跡・慈本寺参道近くの道祖神・宗寿寺近くの石像物・東葛印旛大師元18番候補?八幡神社・9番慈本寺と78番宗寿寺ポタリング

東葛印旛大師9・78番

藤心地区

東葛印旛大師88ポタリング
現在は旧柏地域

その5回目は、
逆井地区に続いて藤心地区

藤心地区は、
地図だとこんな感じで南増尾地区のお隣

この藤心地区には、
東葛印旛大師の札所が2つ元札所候補1つがある。

藤心地区
  ①慈本寺 9番札所
  ②宗寿寺 78番札所
  ※八幡神社 元18番候補

先ずは寄り道から。

道標と塩の道

藤心地区道標と塩の道

ローソン柏藤心店前の交差点の角あるのが、
安政五年(1858)年の庚申塔。

藤心地区道標と塩の道

これが、
道標にもなっていて説明板もある。

藤心地区道標と塩の道

道しるべと塩の道

この道標は、
江戸時代の「安政五年」(1858年)に藤心村の村人たちが庚申の日に集まったことを記念して建てた庚申塔です。
正面に青面金剛立像を安置し、
碑面には「東、たかやなぎ・ふじがや道」、
「西、さかさい・こがね・まつど道」、
「南、やはた・ぎょうとくみち」
「北、かしわ・ふじごころ・ふせみち」と記され、
道しるべ(道標)を兼ねていたこともわかります。
行徳(現在の市川市行徳地区)への道は、
当時の周辺の村人たちが、
薪や農産物を行徳で塩や海産物と交換する(これを”塩どっけ”といった)ためにも、
使われていたため「塩の道」とも呼ばれていました。
逆井、
藤心、
高柳の村の境であるこの交差点は、
人々の生活と深く結び付いた大切な「道」の交差点でもあったのです。

平成19年10月 柏市教育委員会

道しるべと塩の道説明板

藤心陣屋跡

藤心陣屋跡

前回の観音寺の山門と以前に出てきた法林寺の脇門は、
この藤心陣屋にあった門を移設したものだ。

ただ、
この陣屋跡には何もない。

藤心陣屋跡

あるのは、
説明板石碑のみ。

藤心陣屋跡

🔶藤心陣屋跡と本多候

現在、
畑地となっているこの場所には、
江戸時代に徳川家康に仕えた本多候の陣屋(代官所)が置かれていました。
『土村誌』には、
「陣屋跡 藤心字大宮戸二百七十番二アリ。里人御代官跡又ハお役所跡と称ス。維新以前本多紀伊守ノ配下ニ属スル役所ノアリタル処ニシテ、明治二年其ノ建物ヲ取払ヘリ。(後略)」との記述があります。
本多候は駿河国田中藩(現在の静岡県藤枝市)の譜代大名ですが、
本多俊正の四男正重は徳川家康から柏周辺で九千石を拝領し、
一万石大名の格式を与えられ、
元和2(1616)年に下総国相馬郡に飛領地として瀑布直轄地(天領)である市内北部の船戸とここ藤心に代官所を置き、
領地の差配を行いました。
享保年間(1716~1735)頃までには、
本多家代々によって市域内では14ヶ村にわたって支配するようになりました。
代官所には屋敷と役所が併設され、
幕府の勘定奉行の支配下にあり、
検地、
検見、
巡察が行われました。
その後、
本多家も代が替わり、
また所替え(転任)等があっても、
領地の返上はせず江戸時代末までの250年間柏地方の領主として支配してきました。
このように長年いわたり支配できたというのも本多候代々の善政が行われていたようです。
当時の善政というのは、
主に重税(年貢)をかけないとうことがあったのです。
明治維新の折、本多候領地は阿波に移り、
下総お領地は上地(返上)をされました。
その際に建物は解体されましたが、
建物の一部である門が逆井の観音寺と名戸ヶ谷の法林寺にそれぞれ移築・保存され当時の陣屋の景観を伺うことができます。

令和4年3月31日 柏市教育委員会

藤心陣屋跡と本多候説明板

藤心八幡神社

この藤心陣屋跡の近くにあるのが、
藤心八幡神社

藤心地区八幡神社

東葛印旛大師の、
元18番候補?。

藤心地区八幡神社

鳥居の左側には明和元年(1764年)駒形
明和二年(1765年)粟島明神石祠

狛犬が、
何だかユーモラス。

境内社、
大杉神社

藤心地区八幡神社

拝殿の後ろに回ると、
本殿

藤心地区八幡神社

文政三年(1820年)山神石祠
平成五年(1993年)天神宮・浅間大神の石祠

藤心地区八幡神社

左奥にあるのは、
合祀記念碑

藤心地区八幡神社

慈本寺参道近くの道祖神

東葛印旛大師9番の慈本寺に向かう道のところに、
2基の雨除けのある石塔

慈本寺参道近くの道祖神

見てみると、
安永六年(1777年)の道祖神不明の石祠

慈本寺参道近くの道祖神

道祖神の脇には、
草鞋とかサンダルがあるのだけれど意味不明である。

藤心慈本寺

藤心地区慈本寺

藤心山延命院慈本寺は、
源通茂卿(慈本寺殿一峯国光居士)が開基

藤心地区慈本寺

文明12年(1480年)に創建
大清恵真和尚が開山したという。

藤心地区慈本寺

本堂両脇には、
羅漢が。

藤心地区慈本寺

享和二年(1802年)
出羽三山塔

藤心地区慈本寺

あとは、
光明真言供養塔くらいか。

藤心地区慈本寺

東葛印旛大師9番

藤心地区慈本寺

この慈本寺は、
東葛印旛大師9番でもある。

藤心地区慈本寺

実際の四国八十八所霊場での9番は、
法輪寺

藤心地区慈本寺

所在地:徳島県阿波市土成町土成字田中
創建年:伝・弘仁6年(815年)
開基:伝・空海(弘法大師)
山号:正覚山
院号:菩提院
寺号:法輪寺
宗派:高野山真言宗
本尊:釈迦如来(涅槃像)
真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌:大乗の ひほうもとがも ひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ

宗寿寺近くの石像物

宗寿寺近くの石像物

藤心地区東葛印旛大師のもう1つの札所である宗寿寺近くには、
こんなものがある。

宗寿寺近くの石像物

天保十三年(1842年)
不動明王の成田道標だ。

宗寿寺近くの石像物

成田山の左右に、
左 江戸道/右 やわたみちとある。

宗寿寺近くの石像物

右側面には指差し絵と此方 成田道
とある。

宗寿寺近くの石像物

この不動明王の成田道標の下には、
大日如来碑の道標

側面には、
みなみ やハたみち きた 江戸道

宗寿寺近くの石像物

その左の方には、
不明の石祠

宗寿寺近くの石像物

不動明王の成田道標の奥には、
明治三十年(1897年)の子安観音男拾八名女拾八名と刻まれた不明の石塔

宗寿寺近くの石像物

更に大正五年(1916年)
馬頭観世音塔

宗寿寺近くの石像物

藤心宗寿寺

藤心地区宗寿寺

さて、
東葛印旛大師78番安養山誓心院宗寿寺

山門前左に、
2基の庚申塔

嘉永元年(1848年)
千庚申供養塔

藤心地区宗寿寺

正徳三年(1713年)
青面金剛塔

邪鬼が3というのは、
多分初めて見たかもしれない。

そして、
三猿

藤心地区宗寿寺

山門を入ると、
右手に宝暦十一年(1761年)の六地蔵

藤心地区宗寿寺

その隣には、
右から享和元年(1861年)・元禄八年(1695年)・正徳元年(1711年)の十九夜塔如意輪観音

藤心地区宗寿寺

文政十三年(1830年)
湯殿山主尊三所大権現供養塔などなど。

藤心地区宗寿寺

境内風景、
あとはこんな感じ。

東葛印旛大師78番

藤心地区宗寿寺東葛印旛大師78番

さて、
東葛印旛大師78番

大師堂の左隣には平成九年(1997年)の結願記念碑

右隣は、
昭和四十年(1965年)の結願記念碑

藤心地区宗寿寺

あとは、
78番を示す標石

正面の真ん中には、
南無遍照金剛照金剛

その左右に、
四國讃州七十八番道場寺奉

左側面には、
皇和文化四年歳次丁卯艮烏

右側面には、
安養山宗壽寺

台座には、
藤心邑講中

藤心地区宗寿寺

それで、
実際の四国八十八所霊場での78番郷照寺

藤心地区宗寿寺

所在地:香川県綾歌郡宇多津町字山下
創建年:(伝)神亀2年(725年)
開基:(伝)行基
山号:仏光山
院号:広徳院
寺号:郷照寺
宗派:時宗 真言宗
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌:踊りはね 念仏申す 道場寺 拍子をそろえ 鉦を打つなり

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
旧柏地域の5回目で藤心地区

先ずは寄り道で道標と塩の道
藤心陣屋跡慈本寺参道近くの道祖神宗寿寺近くの石像物

更に東葛印旛大師の、
元18番候補?の八幡神社

そして、
東葛印旛大師9番札所慈本寺78番札所宗寿寺をお届けしました。

東葛印旛大師9・78番ポタリングMAP

過去分1はこちら

過去分2はこちら

過去分3はこちら

過去分4はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

コメント

タイトルとURLをコピーしました