旧取手宿本陣染野家住宅

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

水戸街道宿場

さて、
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング

周辺スポットということで、
旧取手宿本陣染野家住宅

水戸街道6番目の宿場取手宿

水戸街道の宿場は、
日本橋から1番目の宿場町で江戸四宿の一つである千住宿に始まる。

ちなみに江戸四宿の他の3つは、
板橋宿・内藤新宿・品川宿

千住宿(東京都足立区千住一丁目 – 五丁目、千住仲町、千住橋戸町、荒川区南千住)の次は、
新宿(現在の東京都葛飾区新宿2丁目)。

その次は松戸宿(現在の千葉県松戸市松戸・本町)、
小金宿(現在の千葉県松戸市小金)と続く。

そして我孫子宿(現在の千葉県我孫子市本町・白山・緑・寿付近)ときて、
この取手宿となる。

旧取手宿本陣染野家住宅って?

説明板が門の手前にあるので、
読んでみよう。

旧取手宿本陣染野家住宅

茨城県指定有形文化財・取手市指定史跡
茨城県指定 平成八年一月二十五日(附 平成二十六年一月二十七日)
取手市指定 昭和六十二年一月一日

旧取手宿本陣染野家住宅
主屋・土蔵 附 表門

江戸時代、
宿場の中で身分の高い武家が宿泊や休憩した家を本陣と呼び、
土地の有力者の家が命じられた。
江戸時代の初めに江戸と水戸を結ぶ水戸街道が整備され、
取手は利根川の渡船場に隣接する重要な宿場として発展した。
取手の名主であった染野家は、
貞享四年(一六八七)に第二代水戸藩主水戸光圀から本陣を命じられたと伝えられており、
以降江戸時代の終焉まで水戸徳川家の本陣を務めた。
水戸徳川家と染野家の深い結びつきを伺える資料が、
史跡指定内に残される第九代水戸藩主徳川斉昭の歌碑のほか、
今も数多く残されている。

【主屋】
現在の主屋は、
寛政七年(一七九五)の建築で、
寄棟入母屋造、
桁行約二〇.〇m、
梁間約一三.九m、
約三一ニ㎡の建物である。
これは、
水戸街道で現存する本陣建築では最古、
最大のものである。
建物の中央から西側には、
式台玄関や書院造の上段の間など本陣として身分の高い武士を迎えるしつらえがしてある。
一方、
土間などを有する建物の東側は、
染野家の人々が日常生活を送った住宅となっている。
また、
明治初期の一時期、
五等郵便取扱役(現在の郵便局長)を勤めており、
式台玄関のわきには馬蹄形の小さな窓口を有する当時の郵便窓口跡が残っている。
この窓口も近代郵便制度の明治創業期の姿を現在に伝える貴重な文化財である。
平成四年から八年にかけて半解体修理を実施した。
【土蔵】
主屋とほぼ同時期の十八世紀末から十九世紀初めの建築。
桁行約九.一m、
梁間約四.五m、
約四一㎡の土蔵造で、
一部二階建ての造りとなっている。
昭和六十二年から平成元年にかけて解体修理を実施した。
【表門】
桟瓦葺の一間薬医門。
染野家に残されている記録より、
建築は文化二年(一八〇五)と推定される。
主屋や土蔵の解体修理の伴い解体、
平成八年に復原された。

平成二十七年 取手市教育委員会

旧取手宿本陣染野家住宅 主屋・土蔵 附 表門 説明板

敷地内レポート

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

薬医門

旧水戸街道沿いに、
案内板があるのでそこの細い道を入ると桟瓦葺の一間薬医門がある。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

意外にこの案内板と中への細い道は、
見逃しそうになるので注意。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

説明板にもあったように、
建築は文化二年(一八〇五)と推定される。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

土蔵

薬医門を抜けると、
左手には土蔵

四面を土壁で覆い、
漆喰で塗り固めていた倉庫だ。

土で壁を塗り固めることで火災から土蔵の中の物を守ることができるし、
温湿度の調整効果もあるので蔵中にあるものが痛みにくい。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

旧井上家住宅ドラマ『JIN-仁』のロケにも使われた旧吉田家住宅のように、
中に入れるようにすれば良いのにとも思うけど残念ながら外から眺めるだけだ。

主屋本陣部分

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

正面には、
主屋

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

寛政六年(1794年)取手の大火で焼失していて、
現存する建物は寛政7年建築のもの

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

堂々とした入母屋破風の屋根が、
とにかく素晴らしい。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

その屋根の下は、
本陣部分の板敷の式台玄関

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

駕籠に乗ってきた身分の高い武士は、
式台に駕籠を横付けして地面に降りずそのまま建物に入ったようだ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

玄関の奥が、
なかのま

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

各箇所には、
いろいろ説明を書いた紙が貼ってある。

上の写真の右のものは、
漆喰のことが書かれている。

身分の差は、
壁の色の差にもはっきりしているというのは面白い。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

こちらは、
上の写真の真ん中下の説明。

上の引き戸を開けると、
仏壇があるのかな?

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

これは、
釘隠しだね。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

釘隠しは、
何種類かあって例えばこんなもの。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

あと、
こんなのも。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅


このなかのまの左手が、
三の間

三の間廊下前には、
雨水受け

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

元々あったものではなく、
改修工事時に取り付けたものみたいだ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

床下は欄間になっていて、
警護の者が隠れていたらしい。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

意外にこの説明が、
読むと余計に楽しくなる。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

二の間と三の間の天井とふすまの間にある、
菱格子の透かし欄間

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

三の間の先には、
二の間

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

天井は、
竿縁天井になっている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

二の間の先には、
上段の間。

ここの床だけが、
少し高くなっている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

違棚に、
天袋

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

床の左側の平書院の障子の上には、
ひょうたんのくりぬきのある板欄間

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

廊下側から見るとこんな感じだけど、
やはり中からの方が良い。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

外を見れば、
池のある庭園

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

徳川斉昭の歌碑

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

この池の左手、
西門の先が階段になっていて上がってみると歌碑がある。

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水戸藩第9代藩主
徳川斉昭の歌碑だ。

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徳川斉昭の歌碑

天保11年(一八四〇)正月、
水戸へ帰国途中の水戸藩主徳川斉昭(なりあき)は、
利根川を渡る船の中で歌を詠み、
染谷家で休憩している間に、
その歌を袋戸へ貼りつけて出発した。

  取手川を渡る船中にてよめる
                斉昭
   さして行く 棹のとりての
   わたしふね 思ふ方ニハ
   とくつきにけり
   行末に さをもとり手の
   わたし船 われたる世をハ
   あたにくらすな

その後、
水戸藩ではこの歌のうちの前者を石に刻み、
三年後の天保一四年、
江戸から船で取手まで運んできた。
実際に斉昭が詠んだ歌とくらべると、
文字の使い方や言葉が多少異なる部分もあるが、
斉昭自筆のものをそのまま石に刻んだようである。

取手市教育委員会

徳川斉昭の歌碑 説明板

この歌碑がある裏山の先の方にお堂が見えるが、
近付けないのが残念。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

多分、
お稲荷さんか何かだろう。

主屋染野家の人びとが使用した部分

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

さて、
今度は主屋染野家の人びとが使用した部分

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

主屋には、
通常染野家の人々が出入りする大戸から入る。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

本陣にまつわる資料ということで、
いろいろと展示されている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

いろいろとパネルがあって、
ちゃんと読んでいけば結構面白い。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

改修前、
1978年頃の本陣の写真などもある。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

靴を脱いで上がると、
ひろまで映像が流されている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

外からだと、
こんな感じ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

広間の先の廊下には、
明治初期の郵便窓口

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

全国で4ヶ所しか現存していない内の1つらしく、
そう考えるとかなり貴重なものだ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

外から見ると、
こんな感じ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

馬蹄型の窓口が、
なかなか素敵だ。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ひろまとなかのまの間には、
板戸

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ひろまには、
槍掛けもある。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

5本の槍が、
掛けられるようになっている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

板戸の上は、
神棚かな?

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

入ってひろまの左手には、
ちゃのま

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ちゃのまにも、
神棚がある。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ひろまとちゃのまの間には、
明治時代のガラス戸

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

茶の間の先には、
なかなんど

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

このなかなんどなかのまは仏壇が設置される前は、
通り抜け出来ていたようだ。

なかなんどの次は、
なんど

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ここにも、
神棚

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

ここからの眺めも、
決して悪くない。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

こちらの庭には、
東門から行けるようになっている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

途中に石祠を発見したが、
何の石祠かはわからず。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

あとは、
井戸もあった。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

こちらからも主屋の中に入ることができるが、
そこは土間になっている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

調理場として使われた、
石くども再現されている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

でもこれは、
座敷かまどだね。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

土間の先は、
ちゃのま。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

上を見上げると、
幾重にも組まれた梁が大きな屋根を支えている。

取手市旧取手宿本陣染野家住宅

やはり、
こういった建物を見るのは楽しい。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
周辺スポットということで旧取手宿本陣染野家住宅を66枚の写真と共にレポート。

元々こういった建物を見るのは好きなのだが、
ここもとても良い空間で楽しめた。

それにしても多くの本陣が失われてしまった中、
こうやってきちんと残っていることは非常に素晴らしいことだと思う。

88 & 周辺ポタリング MAP

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