小文間地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は取手市小文間地区から。
小文間は、
おもんまと読む。
利根川と小貝川に挟まれた地区で、
長兵衛新田のお隣。
小文間地区MAP
地図だと、
こんな感じ。
東京藝術大学、
取手キャンパスがあったりするのだ。
小文間 面足神社
その小文間地区の周辺スポットということで、
今回は小文間 面足神社。
面足神社の面足は、
おもたると読む。
取手東線(県道11号線)沿いに、
馬坂の道標がある。
ちなみに馬坂は、
まさかと読む。
その近くには、
長禅寺にもあった茨城百景の石碑。
ここは、
大利根の展望のようだ。
階段があってその先に展望台があるのだが、
そこは面足神社の敷地内なのだ。
展望台からは、
木々が邪魔して大利根の展望という感じではないがまあそれはそれで。
別の行き方があって、
11号をもう少し先に進むと脇に細長い坂の入口があってそこからでも行ける。
更に車で行く道もあるみたいだけど、
自転車なのでこの細い道を行く。
整備はされているが、
両側のフェンスはちょっと残念な感じ。
面足神社概要
入口には、
面足神社のことが書かれて説明板。
面足神社とライオンズの森
面足神社は通称大六天と称し祭神は面足尊であります。
面足神社とライオンズの森 説明板
同社は永禄元年一月の創建より今日まで郷氏の暑い信仰に支えられて参りましたが、
先年(平成八年)の火災により社殿が焼失してしまいました。
その後六年の歳月を経て平成十四年十二月氏子を中心とした関係者の努力により新築社殿が完成しました。
それに伴い周辺を整備することにより、
…
鳥居周辺
坂を上って行くと、
やがて平成二十四年(2012年)の鳥居がある。
近くには、
鳥居新築記念碑。
鳥居の前には、
村社面足神社とある円柱。
逆側には、
従是大六天〇所とある円柱。
大正十年(1921年)、
とある。
鳥居を抜けた右手には、
いろいろな石造物。
これまた円柱、
鳥居再建寄附記念碑。
正徳三年(1713年)、
光明真言塔。
こちらは、
青面金剛塔。
これは、
延宝六年(1678年)のもの。
古い割に。
なかなかきれいに残っている。
邪鬼はない感じで、
三猿は枠の中に収まっているあまり見かけないスタイル。
こちらは、
六十六部廻国供養塔。
正徳五年(1715年)、
とある。
こちらも、
六十六部廻国供養塔で宝暦八年(1758年)のもの。
これらの奥にも、
いくつか並んでいる。
またまた円柱で、
明治三十六年とか西方氏子中とかの文字。
これは、
以前の鳥居の一部なのかな?
こちらは、
村社面足尊とある石碑。
こちらも、
村社面足神社とある石碑。
他にも、
大正十三年(1924年)石板寄附の石碑とか。
奉安永八己亥歳(1779年)、
石灯籠正一位第六天神宮とある灯籠の一部。
こちらは安永九庚子(1780年)、
奉納御寶前とあるこれも灯籠の一部かな。
そして、
以前の鳥居にあったんだろう村社面足神社の扁額。
参道から社殿へ
ここを通り過ぎて先に進むと、
社殿が見えてくる。
右手には、
手水舎。
その先には、
青面金剛塔がポツンと1基だけ。
これは、
かなりくっきり残っている。
しかも、
延宝五年(1677年)のもの。
350年近く昔のものが、
こうやってきれいに残っているは素晴らしい。
邪鬼も三猿も、
同様。
先には、
まだ新しい平成十五年(2003年)の灯籠一対。
その先には、
やはり同じ平成十五年(2003年)の狛犬一対。
そして、
社殿。
平成に入ってからの再建だけに、
まだまだ新しい。
拝殿新築記念碑も、
ちゃんとある。
社殿手前の石造物
社殿手前にも、
いろいろと並んでいる。
左手には、
愛宕神社の石祠だけ。
昭和四十三年(1968年)再建のもので、
裏側に明治百年記念とある。
右側には、
ずらり。
左から、
面足神社の石祠。
裏を見ると、
平成八年(1996)再建とある。
社殿が焼失した際に、
この形で先ず再建したのだろう。
続いて、
道祖神だろう石祠。
側面に、
六年九月吉日とある。
次は、
不明の石祠。
ただ側面には、
文政五年(1822年)とある。
次は、
天保四年(1833年)の文字庚申塔。
三猿も、
ちゃんといる。
次も三猿はいない文字庚申塔で、
文政十二年(1829年)のもの。
次は、
不明の石祠。
享和三年(1803年)、
二十三夜塔。
天保十三年(1842年)、
二十三夜塔。
正徳五年(1715年)、
六十六部廻国供養塔。
そして、
文久三年(1863年)再建と基礎台にある三峯山大権現石祠。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市小文間地区から。
周辺スポットということで、
小文間 面足神社。
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