長兵衛新田 浅間神社

取手市長兵衛新田浅間神社

長兵衛新田地区

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は取手市長兵衛新田地区から。

長兵衛新田の長兵衛は、
誰かの名前なんだろうけど詳しいことはわからない。

手賀沼周辺にも〇〇新田とあるが、
それと同じで利根川の東遷で干拓された地区なんだろう。

東京湾に流れ込んでいた河川を、
人の力で銚子に流れるようにするなんてすごい話だ。

その一端を担った人々の名前が、
そのまま地名として残っているんだろう。

長兵衛新田地区MAP

長兵衛新田 浅間神社

そんな長兵衛新田にあるのが、
長兵衛新田 浅間神社

取手東線脇の石造物

浅間神社は取手東線(県道11号線)から脇道に入ったところにあるのだが、
その入るところにある分離帯にいくつかの石造物が並んでいる。

取手市長兵衛新田浅間神社付近

地蔵菩薩立像地蔵菩薩坐像
安永五年(1776年)新四國八十八ヶ所道標不明石塔明治三十年(1897年)八十八ヶ所道標

御地蔵様だけではなく、
石塔にも赤い前掛けと頭巾

稲荷神社

取手市長兵衛新田稲荷神社

浅間神社のある公園入口左手には、
稲荷神社

取手市長兵衛新田稲荷神社

狐一対の奥に、
石祠

取手市長兵衛新田稲荷神社

左にも、
稲荷大明神石祠

取手市長兵衛新田稲荷神社

これは、
天保十四年(1843年)のもの

取手市長兵衛新田稲荷神社

浅間神社

取手市長兵衛新田浅間神社

稲荷神社の先に、
浅間神社の鳥居がある。

取手市長兵衛新田浅間神社

鳥居を抜けて、
石段を数段上がる。

取手市長兵衛新田浅間神社

左手には石造物
右手に社殿が見える。

取手市長兵衛新田浅間神社

社殿には、
浅間神社の扁額

取手市長兵衛新田浅間神社

中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。

取手市長兵衛新田浅間神社

石祠が2基、
祀られている。

写真を拡大してみたところ、
右の石祠には正徳四年甲午(1714年)とある。

取手市長兵衛新田浅間神社

社殿右手には、
石積みの土台。

取手市長兵衛新田浅間神社

その上に明治十八年(1885年)に合併された、
天満宮が祀られている。

取手市長兵衛新田浅間神社

今度は、
並んだ石造物を見ていこう。

取手市長兵衛新田浅間神社

左から、
崩壊してしまっている不明の石塔

何となく青面金剛塔だったのでは?
と思うのだがわからない。

取手市長兵衛新田浅間神社

次は、
文字青面金剛塔

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
明和六年(1769年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

次も、
文字青面金剛塔

取手市長兵衛新田浅間神社

同じく、
明和六年(1769年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

次は、
疱瘡神

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
享保四年(1719年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

こういう感じのものは。
初めて見た気がする。

取手市長兵衛新田浅間神社

次も、
疱瘡神三玉大明神とある。

取手市長兵衛新田浅間神社

こちらは、
天保九年(1838年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

次は、
三猿庚申塔

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
元禄九年(1696年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

次は、
川畑鎮護社の石祠

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
明治十一年(1878年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

左側面に何か刻まれているが、
読めず。

取手市長兵衛新田浅間神社

こちらは、
待道大権現の石碑

取手市長兵衛新田浅間神社

そして、
別雷神社碑

取手市長兵衛新田浅間神社

境内右の方には、
多分天保七年(1836年)の手水鉢

取手市長兵衛新田浅間神社

それと、
太神宮・水神宮の石祠

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
宝暦四年(1754年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

そして、
尾鑿山神社碑

取手市長兵衛新田浅間神社

これは、
明治二十八年(1895年)のもの。

取手市長兵衛新田浅間神社

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市長兵衛新田地区から。

周辺スポットということで
長兵衛新田 浅間神社

元禄九年(1696年)の三猿庚申塔に始まって、
今まで見たことがないような疱瘡神などなど数少ないがなかなか見応えありの神社だった。

88 & 周辺ポタリング MAP

他の88ポタリング-2はこちらから

88ポタリング-1はこちらから

コメント

タイトルとURLをコピーしました