小文間 香取神社
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は取手市小文間地区から。
周辺スポットということで、
小文間 香取神社。
概要
創建は、
嘉永二年(1327年)という。
御祭神は、
経津主命。
入口
鳥居には、
香取大神の扁額。
その先には、
昭和十二年(1937年)国旗掲揚柱。
庚申塔群
参道左手には、
庚申塔が並んでいる。
手前から見ていくと、
まず文字青面金剛塔。
これは、
享和元年(1801年)のもの。
次は、
聖徳太子塔。
これは、
安永二年(1773年)のもの。
次は、
青面金剛塔。
これは、
享保十四年(1729年)のもの。
久しぶりに見た気がする、
ショケラ持ち。
きれいに残っている、
餓鬼。
こちらは、
二鶏。
三猿は、
基礎台の方にある。
次が、
天保十年(1839年)二十三夜塔。
次は、
寛延元年(1748年)文字聖徳太子塔。
次は、
青面金剛塔。
これは、
宝暦五年(1755年)のもの。
青面金剛のお顔は剥離してしまっているけど、
邪鬼と三猿はハッキリと残っている。
次もお顔が剥離している、
不動明王塔。
これは、
嘉永六年(1853年)のもの。
次は、
青面金剛塔。
これは、
文化六年(1809年)のもの。
お顔は、
ギリギリわかる感じ。
これも、
ショケラ持ち。
邪鬼が手で目を隠しているのなんて、
今まであっただろうか?
次は、
文化十三年(1816年)文字青面金剛塔。
次は、
文字庚申塔。
これは、
天保十二年(1841年)のもの。
下には、
三猿。
次は、
勢至菩薩塔。
これは、
天保六年(1835年)のもの。
次は、
青面金剛塔。
これは、
宝暦十三年(1763年)のもの。
かろうじて、
お顔が残っている。
言わ猿が、
邪鬼の隣にいる。
次は、
剥離の酷い不明塔。
次は、
文字庚申塔。
これは、
嘉永五年(1852年)のもの。
次は、
文字青面金剛塔。
これは、
宝暦十年(1760年)のもの。
最後のものは、
天保五年(1834年)の多分文字庚申塔っぽい。
灯籠
庚申塔群の先を進むと、
右手に灯籠の片割れ。
これは、
万延元年(1860年)のもの。
その先の一対の灯籠はまだ新しく、
平成十二年(2000年)のもの。
手水舎
その先にあるのが、
手水舎。
手水鉢は、
ちゃんと機能しているもの。
これは、
嘉永二年(1849年)のもの。
御神木
その先には、
大きな切り株。
その前には、
石祠。
これは、
平成十年(1998年)のもの。
今は切られたか倒れてしまったかで切り株しか残っていないが、
ここに御神木があったんだな。
境内社
社殿左手前には、
境内社の石祠。
社名が読めない、
大正時代(何年かわからない)のもの。
こちらは、
水という文字が読めるので水神宮だろう。
意外に古く、
延宝七年(1679年)のもの。
こちらは奥の文字は読めないが、
縁のところには63番札所である別當福栄寺の文字がある。
これは、
寛延元年(1748年)のもの。
社殿
それで、
こちらが社殿。
扁額、
アップ。
内部は、
こんな感じ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市小文間地区。
周辺スポットということで、
小文間 香取神社を訪ねた。
香取神社というと、
どこの香取神社も庚申塔が多く見られるような気がするんだけどどうだろう?
例に漏れず、
ここも江戸時代のなかなか充実した庚申塔を見ることができた。
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