東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回
さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
ここまでは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所6・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
・柳戸地区
札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
札所2・掛所1・元札所1
・若白毛地区
札所3・元札所1
・大井地区
札所2・元札所1
・五條谷地区
札所2・元札所1
・金山地区
札所2
・藤ヶ谷地区
札所3・番外1
・藤ヶ谷新田地区
札所1
・大島田地区
札所2・元札所1
・高柳地区
札所6
その旧沼南地域17地区のうち、
16地区と残すところあと1地区。
まわった札所は43・元札所9・掛所7・番外1、
となる。
それで今回は、
旧沼南地域の17地区最後の17地区目になる塚崎地区。
ここは、
藤ヶ谷新田地区の下・藤ケ谷地区の左隣あたり。
地図だと、
こんな感じ。
この高柳地区には、
東葛印旛大師の札所が6つある。
塚崎地区
①寿量院 18・76番札所
☆神明社 元掛所
※子の神社 (元18番)
今回は、
寿量院第18・76番札所。
その前に、
寄り道というか元掛所の神明社と敷地内にある元18番の子の神社から。
沼南の歴史をあるく41 神明社
神明社は、
かつては東葛印旛大師の掛所だったらしい。
そして、
沼南の歴史をあるく41でもある。
ここも沼南ではなく沼南町と、
町が付いている。
神明社は享保十八年(一七三三)に建てられた天照大神、
沼南の歴史をあるく41 神明社
八幡、
春日の三社が典型的な三社造りで並んで居ます。
広い社域には本多正珍建立の石鳥居を始め、
御神楽衆奉納の洗鉢など多くの文化財が残されています。
十月十七日の秋の大祭には神楽が上演、
奉納されます。
白い標柱の脇には、
赤に白抜きでかしわ七福神の幟。
ただ柏七福神は、
ここにはなくて階段を上った境内の方にある。
大黒天だけのはずが、
なぜか令和4年の弁財天。
弁財天は、
幸町辨財天にあるはずなんだけど何故だろう?
赤い柵のところは、
弁財天社。
宗像三女と呼ばれる、
多紀理毘売命・市寸島毘売命・多岐都比売命が御祭神として祀られている。
赤い柵、
鳥居の向こうは池。
そして、
橋の先には石祠が2基あるが刻まれた文字は読めず。
神明社への参道階段脇には、
沼南の森マップ。
石段を上っていくと、
先ず目に付くのが左にあるコレ。
木彫りのタヌキなのだが、
何なのか?は不明。
正面には、
鳥居。
横には、
説明板。
柏指定文化財(建造物)昭和55年3月7日指定
🔶神明社石鳥居
この鳥居は、
高さ285mで、
材質は硬い安山岩を使用して建立されたものです。
形式は、
伊勢神宮の神明鳥居または明神鳥居を原型としながら、
細部ではそれぞれが入れかわったり、
貫(ぬき)をつめたりしながら特殊な形状をした変形鳥居とされます。
本殿に向かって右側の柱に「神明宮石華表」との銘文があり、
華表(かひょう)とは漢名(中国の建築名)で鳥居のことを意味します。
左側の柱には、
宝暦7年(1757)に本多正珍(まさよし)が建立したことが刻されています。
石鳥居を奉納した正珍、
延享3年(1746)から宝暦8年(1758)まで江戸幕府の老中をつとめた駿河国田中藩主(現在の静岡県藤枝市)で、
下総国四十二ヶ村に飛領地(とびりょうち)を持つ四万石の大名でした。
正珍は、
同じ宝暦7年に領地内であった布瀬の東海寺(布瀬弁天)と増尾の広幡八幡宮にも石鳥居を寄進しています。
代々、
本多氏は信仰心に篤く領地内に善政を施し領民から慕われていたといわれています。参考文献:『沼南町史史料集金石文(Ⅱ)』
神明社石鳥居 説明板
平成29年3月31日 柏市教育委員会
確かに左には、
宝暦七年丁牛二月日 執政中太夫拾遺伯州刺史藤原正珍 依為旧領采地謹建焉。
右には、
下総国相馬郡塚崎村 神明宮 石華表とある。
鳥居の先、
左には大々講中と刻まれた安政二年(1855年)の手水鉢。
更に石段を上ると、
拝殿。
拝殿の奥には、
神明三社造りの本殿。
中央に天照皇大神(皇大神宮)、
右に応神天皇(八幡社)・左に武甕槌神(春日社)を祀っている。
普段は公開していないが、
10月17日の例祭当日と正月三が日は開門するようだ。
その10月17日の例祭で演奏奉納されるのが、
十二座神楽。
拝殿右手には、
十二座神楽説明板があった。
柏市指定文化財(無形文化財 民俗) 昭和50年12月4日指定
🔶十二座神楽
神明社は鎌倉末期に創建されたと伝えられる名社で、
例年10月17日の例大祭に神楽殿において奉納上演される神楽舞が十二神楽です。
当日は表参道脇に16mもの壮大な2本の幟幡(のぼりはた)が掲げられます。
神楽の構成は古代神話をもとにした神楽舞を中心としたもので、
巫女(みこ)・猿田彦(さるたひこ)・湯笹・狐・恵比寿(えびす)・餅投げ・鐘馗(しょうき)・玉取り・天宇妥女命(あめのうずめのみこと)・大幣(おおへい)・大蛇退治(おろちたいじ)・天岩戸(あまのいわと)の十二の舞曲からなる荘厳なものです。
昔は夜中までかかり奉納されました。
代々塚崎地区の長男によって継承されてきたもので、
県内でも比較的古くから伝承されてきた里神楽のひとつとして、
貴重な民俗文化財です。平成29年3月31日 柏市教育委員会
十二座神楽 説明板
先の十二座神楽が奉納上演される神楽殿は、
令和3年 (2021年)に再建されたピカピカのもの。
拝殿左手には樹齢1300年の榊の木があって千葉県天然記念物に指定されていたようだが、
枯れてその若木が残っているだけ。
あと拝殿左手には、
別の手水鉢。
脇には、
この手水鉢の説明板がある。
柏市指定文化財(建造物) 昭和52年2月21日指定
🔶神明社手水鉢
この手水鉢はもと本堂へ向かう参道脇の社務所前に置かれていたもので、
参拝者が身を清めるために使用されたものです。
一石でつくられ素朴な作りながら重量感のある堂々をしたもので、
材質は安山岩で製作され、
角盤の面は長さ86cm、
幅54cm、
高さ48cmあります。
本体の側面に刻された右の銘文から、
江戸時代初めの頃の寛文9年(1669年)に旦那(氏子)たちが庚申待(こうしんまち)の大願成就を祈願して、
神前に「手水鉢」を奉納したことがわかります。
神社と氏子、
さらに当時広く行われていた民間信仰のひとつである庚申待(干支の庚申の日に神仏を祀って飲食し夜を明かす行事)との深いつながりを示す石像物として貴重な資料です。参考文献:『沼南町史 資料集 金石文(Ⅱ)』
平成29年3月31日 柏市教育委員会
神明社手水鉢 説明板
ちなみに銘文には、
敬白 信心旦那 奉納庚申待成就 寛文九巳酉年 御神前手水鉢とある。
この神明社、
他にもあれこれいろいろある。
全部で10基の石祠群は、
明治四十一年(一九〇八)塚崎地区の浅間・厳島・面足神社を合祀した際のもの+由緒不明なもの。
十二座神楽記念碑の横に、
合祀のことが刻された記念碑もある。
その石祠群が、
こちら。
お堂の中に祀られ、
きちんと並んでいる。
猿田彦命を祀った、
猿田彦神社があったり。
此花咲耶命を祀った、
子安神社。
厄病神を祀った、
疱瘡神社。
倭大物主櫛玉命を祀った、
大杉神社。
更に、
御即位紀念碑。
神明神社碑と、
本殿改築/植樹記念碑などなど。
ちなみに、
拝殿に向かう階段は3つある。
1つが正面のもので、
もう1つは駐車場からのもの。
そして、
もう1つが裏参道のもの。
ここには、
一ノ宮社。
説明板には、
こうある。
一ノ宮
【一ノ宮】とは
一ノ宮 説明板
その国で最も神格の高い神社
と言われますが
このお社には
少し異なる由来があります
鎌倉時代末期
人々は神明社を参拝する際に
神々の通られる表参道を歩くのは
恐れ多い事と考え氏子地域に向く
裏参道を造りました
神聖なる境内に入るとまず一ノ宮で祈りを捧げ
身を清め
心を正し
石段を上り
神殿を目指したと言います
この一ノ宮は神明社参拝で
最初にお参りする神社として
この地にまつられたのでしょう
フムフム、
これはなかなか面白い。
子の神社(元18番)
あとは、
東葛印旛大師第18番札所だったこともある子の神社。
出雲大社の御祭神、
大国主命を祀っている。
沼南の歴史をあるく42 寿量院
さて、
東葛印旛大師第18・76番札所のある寿量院は神明社からは1キロも離れていない。
ここは、
沼南の歴史をあるく42でもある。
無量山長福寺寿量院という真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。山門の下には江戸初期の庚申塔や十九夜塔が多数並んでいます。
沼南の歴史をあるく42 寿量院
まっすぐ伸びた参道は、
神明社に向かって一直線に伸びている。
以前は、
神明山寿量院と号し住職が神明社の別当を兼ねていたといわれている。
長い参道の入り口左脇には、
いくつかの石塔。
左から、
南無遍照金剛塔。
側面には、
四國讃州金倉寺移第七十六番と文化五戊辰歳九月無量山壽量院。
要は76番の標石なのだが、
そこが正面に向いていない。
続いて、
慶応三年(1867年)不動明王塔。
下には、
成田山月参と刻されている。
その隣のものは、
寛文五年(1665年)の舟形状石造板碑型庚申塔。
三猿が、
大きくて目立つ。
右の2基は、
鶏魂供養之塔と伊勢神宮参拝記念碑。
参道を進むと急な階段があるが、
その右手には石塔がまた集まっている。
右から延宝六年(1712年)、
十九夜如意輪観音塔。
正徳二年(1712年)、
十九夜如意輪観音塔。
正徳四年(1714年)、
二手金剛庚申塔。
文化三年(1806年)の湯殿山主尊の出羽三山塔と、
文化六年(189年)青面金剛文字塔。
更に、
3基。
右から、
文化四年(1807年)角柱型十九夜塔で上に如意輪観音を浮き彫りしたもの。
明和二年(1765年)、
十九夜如意輪観音塔。
宝永六年(1709年)、
念仏講中如意輪観音塔。
階段左脇には、
六地蔵。
階段を上ると、
かなり斬新な本堂。
境内にも、
いろいろ。
明治・昭和の出羽三山塔や、
三猿メインの庚申塔などなど。
年不明の、
青面金剛塔?馬頭観音塔?
餓鬼と三猿が居るから、
青面金剛塔か。
光明真言供養塔とか不明の石祠とか天満宮とか、
まあいろいろ。
東葛印旛大師第18・76番
東葛印旛大師第18・76番は、
こんな感じで1つ屋根の下。
実際の四国八十八所霊場第18番は、
恩山寺。
所在地:徳島県小松島市田野町字恩山寺谷
創建年:不詳(天平年間末か)
開基:(伝)行基 聖武天皇(勅願)
山号:母養山 大日山(旧称)
院号:宝樹院(寶樹院、寳樹院) 福生院(旧称)
寺号:恩山寺
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:子を生める その父母の 恩山寺 訪らいがたき ことはあらじな
実際の四国八十八所霊場第76番は、
金倉寺。
所在地:香川県善通寺市金蔵寺町字本村
創建年:(伝)宝亀5年(774年)
開基:(伝)和気道善
山号:鶏足山
院号:宝幢院
寺号:金倉寺
宗派:天台寺門宗
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:まことにも 神仏僧を 開くれば 真言加持の 不思議なりけり
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
旧沼南地域の17地区最後の17地区目になる塚崎地区。
元掛所神明社と、
元18番子の神社。
そして、
寿量院東葛印旛大師第18・76番札所。
これで、
旧沼南地域の17地区は全て巡ったことになる。
ここまでで、
札所は45・元札所10・掛所7・元掛所1・番外1。
ひとまず、
一区切りだ。
さてさて次の地域は、
どこにしよう?
東葛印旛大師第18・76番ポタリングMAP
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