『郎門の三長三本』の1つ長谷山本土寺
松戸市にある日蓮宗の寺、『長谷山本土寺』は建治3年(1277)、豪族・平賀忠晴の屋敷跡に、日蓮の高弟、六老僧の1人である日朗上人を導師として招いて開堂したのが始まり。
日郎上人といえば、他にも池上長英山本門寺、鎌倉長興山妙本寺を開創している。この長谷山本土寺を含めて、山号に『長』、寺号に『本』の字が共通していることから『郎門の三長三本』と称される。
本土寺2012年ギャラリー
ここは5万本の紫陽花や五千本の花菖蒲が見られることでも有名なお寺だが、紅葉もまた綺麗なのだ。
紫陽花と花菖蒲の時期には何度か訪れたことはあったが、紅葉は見たことがなかったので、今回少し遅めだけど見に行ってきた。暦上は12月中旬はれっきとした冬だが、紅葉なのだ。
本土寺仁王門と紅葉
手賀沼から自転車で1時間ほど走って『仁王門』に到着。まだ紅葉が楽しめる。仁王門左手の道を少し行くと駐輪場があるのでそこに自転車を置いて散策開始。
電車ならJR常磐線北小金駅で下車して10分ほど。まっすぐ続く参道を行く。
この門は間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式。
参道の正面に『長谷山』の扁額を掲げた朱塗りの高楼。
慶安年間(1648から1651)、日慧上人の発願による建築。
階上には金色の千体佛が祀られているらしいが普段は非公開。
大きな数珠が吊るされている門の下をくぐって階段を下りていくと境内に入る受付入口がある。
本土寺境内
ここからは、拝観料500円の時もあるが無料開放の時もある。混雑する時期、紫陽花や花菖蒲、紅葉の見頃は有料になるみたいだ。
五重塔
入ってまっすぐ進むと左手に階段がある。そこを上がると五重塔。
まだ新しいが、それもそのはず。平成三年、日像菩薩六百五十遠忌記念として建立されたものだそうだ。
中にインドのネール首相より贈られた真仏舎利の一粒を納め、千体佛と共に祀られている。
鐘楼
五重塔のすぐ脇には鐘楼がある。
二間四面で茅葺。
梵鐘は建治四年(1278)の鋳造銘があって、千葉県下では第二の古鐘。
昭和五十二年に国重要文化財に指定され、実物は宝物殿の中に保管されている。
本堂
本堂院向かう階段の前には『翁の碑』がある。
これは、江戸時代の文化元年(1804)に行われた芭蕉忌を期して建立されたもの。読めないが『御命講や油のような酒五升』と刻まれているらしい。元禄5年(1692)、松尾芭蕉49歳の時の句だ。
昔この本土寺では、『翁会』と称する句会が催されていた。そこにはあの小林一茶も参加していたということだ。
句碑にはその時の一茶の句『芭蕉忌に先づつつがなし菊の花』も刻まれている。
それで、本堂は、間口八間、奥行十間で木造銅板葺。御本尊は一尊四士。慶安四年(1651)に小金城主一族の恵了院日修が息女の菩提を祈って造立したと記録されている。
元々は祖師堂だったけど、明治十五年宗祖六百遠忌に場所を移し本堂として、昭和五十二年宗祖七百遠忌に時に五間四面の拡大改造されたものだ。
回廊と秋山夫人の墓
本堂から繋がる回廊の下を抜ける。
この回廊と紅葉の景色はなかなかステキだ。
ここには『秋山夫人の墓』がある。
秋山夫人は徳川家康の側室だった穴山梅雪の養女於都摩、通称下山殿。彼女が産んだ子が武田(松平)信吉。家康の五男に当たる。
武田信吉は天正18年(1590)に下総小金城3万石に封じられたが、秋山夫人はその翌年の天正19年(1591)、24歳の若さで小金で病死してしまい本土寺の参道脇に葬られたという。それを水戸光圀が鷹狩にこの地を訪れた際に見つけ、この墓石を建立したという話だ。ちなみに光圀は信吉の甥にあたる。
乳出の御霊水
潤華庵と白雲楼と奇峰洞、更に歴代廟を右に見ながら進み坂を下りると菖蒲池が見えてくる。
菖蒲池の脇を抜けるとやがて『乳出の御霊水』だ。
これは『日像菩薩誕生水』とも言われ、日像上人が生まれた際に清水が湧き出て、それを産湯として使ったとされる。
それを後に井戸とし、その水を飲むと病気が治り、たちまちに乳の出がよくなるという不思議なご利益により当時は参詣祈願の列が絶えなかったという。
ちなみに日像上人は日朗上人の弟子で、日蓮上人臨終の際に京都への布教を遺命されて実現した人だね。
像師堂
また回廊の下をくぐると、今度は左手に『像師堂』。
元々は本土寺の支院だったところだ。京都開教の祖日像上人の『日像菩薩像』が祀られている。お堂の扉には日像上人の誕生からの得度等が絵と文で説明されている。
お堂の正面に立つとセンサーで堂内の電気が点くという仕組みになっていて、知らないと急に点くのでちょっと驚く。
お願い地蔵
像師堂の手前には願掛けスポット『お願い地蔵』。箒を持っている姿が何だか可愛らしい。
お願いごとを込めた小さなお地蔵さまが沢山並んでいる。この地蔵堂は約750年前に沢に流れ着いたお地蔵様を祀るために建てられたものだそうだ。
長谷稲荷
その右手には『長谷稲荷』がある。左右の狐は3セットもある。
今日庵元夢と藤風庵可長の句碑
手前には芭蕉の句碑を建てた今日庵元夢の句『世は夢のみな通ひ路か梅の花』と藤風庵可長の句『秤目にかけるや年の梅椿』が刻まれた表裏の句碑。
弁天池
先に進むと『弁天池』が左手にある。中央の小島の厨子には弁財天が祀られている。
以前訪れた時は蓮の花が1つだけ咲いていてキレイだった。池の手前には咲いたところを見たことはないが藤棚もある。
池の裏手には銭洗いの場所があって笊が置かれている。この日はモミジの葉っぱが笊の上に何枚かあってなかなか良い感じだった。
瑞鳳門
なんてことのない門に見えるが、歴史ある文政四年(1821)に建立されたのは『瑞鳳門』。
元々は旧輪蔵院の門で、現在の像師堂前にあったものをこちらに移築したようだ。何故移築したのか?はわからない。
妙朗堂
門を抜けて右手には『妙朗堂』がある。間口三間半、奥行四間半、銅板葺。日朗上人の御母、妙朗尼を祀るところ。
大正末期に現在の像師堂の近くに建てられたもので、昭和二十八年(1953)に現在の場所へ移築されたお堂。
開山門
元々は日郎上人以外の出入りにはこの扉は開かなかったということから『朗師門』と呼ばれたもので、丸柱は境内最古の建築材で延慶三年(1310年)のもの。
門の中には入れないが茶室が2つあり、良さ気な雰囲気。
宝物殿と赤い欄干の回廊とおもうさん
開山門の右手には赤い欄干の回廊。奥に見えるのが宝物殿の一部。宝物殿には国の重要文化財として宗祖日蓮聖人御真筆の『諸人御返事』『大学三郎御書』なども収められているようだ。
回廊をくぐるところには『おもうさん』なる小さな像が祀られている。
おもうさん
平賀本山本土寺
あるとき、誰かがここに置いたお像を「おもうさん」と名付けました。おもうさんとは公家や貴族の言葉で「お父さん」という意味があります。また、大切な誰かを「想う」ということに因んだお名前でもあります。皆様の「大切な誰か」が安らかに幸せに過ごせますように皆様の思いを乗せてこちらのおもうさんをお詣り下さい。
赤門
開山門の左手には方丈へとつながる『赤門』がある。朱塗りの門と白い壁の色合いが良い。ここを過ぎると再び入口に戻ることになる。
というわけで…
とても見応えのあるお寺であった。紅葉は少し時期が外れていたのかもしれないが、それでも結構楽しめた。それに人も殆ど居ない状態でのんびりと散策出来て楽しかった。紫陽花や花菖蒲の時期も是非訪れたいが、紅葉の季節もなかなか捨て難いものがある。お勧めです。
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