都部新田地区
さて、
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは都部新田地区。
都部新田はこんなところ
都部新田の都部は、
以前出てきている。
新田だから、
かつて手賀沼だった干拓地だ。
都部新田地区MAP
ここには岡発戸新田と湖北台に挟まれた地区で、
地図だとこんな感じ。
この都部新田地区には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所札所はない。
新四国相馬霊場八十八ヶ所78番の正泉寺から自転車で5分くらいのところにあるのが、
都部新田天照皇大神宮/水神宮。
正泉寺の昔々の参道が手賀沼湖畔まであった、
ということで地図を見ていたらここがあったのだ。
ここは、
岡発戸 滝前不動堂 36番からでも自転車で10分程度。
都部新田 天照皇大神宮/水神宮
概要
都部新田 水神社の創建年代等は、
不詳である。
ただ、
以前出てきた八幡神社のあった岡発戸新田の開墾による集落の鎮守として創建したという。
境内
さてこの都部新田天照皇大神宮/水神宮は、
随分とこじんまりとした感じだがきれい気持ちの良い感じ。
鳥居の左には、
明治十年(1877年)奉納の力石。
社殿の扁額は、
2つ。
右が天照皇大神宮で、
左が水神宮。
今の社殿は、
平成二十年(2008年)に新築されたもの。
石造物
銅製の鳥居を抜けると、
右手にいろいろと並んでいる。
これは、
敷石・石板寄附の記念碑っぽい。
寛政七年(1795年)、
神格化された菅原道真を祀る天満大自在天神宮の石祠。
安永九年(1780年)のものだけど、
四國富…門?と読めない。
丸彫りの石仏、
これも不明。
天保三年(1832年)、
文字二十三夜塔。
宝暦二年(1752年)、
ショケラ持ちの青面金剛塔。
奉/供養庚申/正泉寺/都部邑/講中十八といった、
文字が刻まれている。
文政九年(1896年)と嘉永七年(1854年)、
文字庚申塔。
寛政九年(1797年)、
文字青面金剛塔。
安永四年(1775年)、
合掌型の青面金剛像塔。
刻まれているであろう文字は、
ほぼ読めない。
御大典記念華表木造赤味一基、
と刻まれたもの。
何回か出てきているけど華表は鳥居のことだから、
御大典記念で鳥居を建立した記念碑なんだろう。
ちなみに木造赤味の赤味は、
木材内部の辺材に囲まれた色の濃い部分のことで耐久性があり美しい材のこと。
元禄十五年(1702年)、
文字青面金剛三猿塔。
この中では、
これが1番古いのかな。
これは四国…掛所とあるので、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の掛所塔なのかな?
位置的にここは、
正泉寺と滝前不動の間の掛所だったのかもしれない。
ここまでが社殿横に並んでいる石造物、
写真のバックが全然ステキでないのが気になるが仕方がない。
社殿裏の塀の前にも、
尾鑿山登山記念碑をはじめとした記念碑などが並ぶ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
岡発戸新田と湖北台に挟まれた都部新田地区。
この地区には新四国相馬霊場八十八ヶ所札所はないが、
正泉寺から自転車で5分くらいのところに都部新田天照皇大神宮/水神宮がある。
ここは、
岡発戸 滝前不動堂 36番からでも自転車で10分程度。
そんな都部新田天照皇大神宮/水神宮、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の掛所だったのかもしれないことを発見したのだった。
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