
我孫子市 高野山地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市高野山地区から。
高野山はこんなところ
高野山は、
こうのやまと読む。
まあ他の我孫子難読地名に比べたら、
いたって普通ではある。
たき(高)のやま(山)の転訛で、
崖のある山という意味があるらしい。
高野山地区 MAP
地図だと、
こんな感じ。
この地区にある高野山桃山公園には前原古墳があったり、
その近くには水神山古墳があったりするところ。
高野山地区には新四国相馬霊場八十八ヶ所札所があるんだけれど、
今回は周辺スポットということで高野山 香取神社。
この香取神社にも、
香取神社1号墳と2号墳がある。

前回の岡発戸新田 八幡神社からだと自転車で4分ほど、
新四国相馬霊場八十八ヶ所36番の滝前不動からでも7分くらいのところにある。
高野山 香取神社

手賀沼ふれあいライン沿いにあるが、
自転車だったら遊歩道を行く方が快適だ。
八幡神社からだと滝下広場のところから遊歩道に入り、
藤棚のところで再びふれあいラインに出れば良い。
概要
創建年代は不詳ながら、
平将門の乱が平定された天慶三年(940年)の創立とも伝えられる。

貞享元年(1694年)の棟札が残されることから、
この年に社が祀られ享保十五年(1730年)には本殿が造立されたのではないかという。

御祭神は、
経津主命。

社殿は、
昭和五十三年(1987年)の改築。

香取神社へのアプローチ
行き方としては、
手賀沼ふれあいラインから階段を上っていくスタイルが1つ。
あとは、
住宅街の方から参道脇に出るスタイルがある。
住宅街から参道脇に入る際、
手前に小さな鳥居とお社がある。


手賀沼ふれあいライン沿いには、
うっかり見落としそうになる香取神社の寺標。

その奥には、
樹齢500年ともいわれる大銀杏。

その脇には、
急な階段。

ここを上がっていくと、
香取神社だ。

階段脇左手には、
不明のお社。

高野山 香取神社 石造物
階段を上がっていくと、
右手に寛政十一年(1799年)の道陸神(道祖神と同じ)の石祠が祀られている。


左手には、
香取神社1号墳の手前に手水舎。

手水鉢は、
寛政十二年(1800年)のもの。

反対側には、
年紀も内容も不明の石塔。

その先には、
明治三十二年(1899年)の狛犬。


そして、
安政三年(1856年)の明神型石鳥居。

扁額には、
香取大社。

正面拝殿までの参道両脇には、
百庚申がずらりと並んでいる。
その奥の小高くなったところには、
主に社寺関係碑。



これって、
百庚申のスタイルなんだろうか?

いつものように、
文字庚申塔の間に青面金剛塔を挟んでズラリ。

文字庚申塔の年紀はこんな感じで、
天保十五年(1844年)から8年後の嘉永五年(1852年)の間のものだ。
・天保十五年(1844年)
・弘化二年(1845年)
・弘化三年(1846年)
・弘化四年(1847年)
・弘化五年(1848年)
・嘉永元年(1848年)
・嘉永二年(1849年)
・嘉永三年(1850年)
・嘉永四年(1851年)
・嘉永五年(1852年)
毎年欠かすことなく、
徐々に増えていったわけだね。
文字庚申塔の間に時々出てくる青面金剛塔は、
全部で9基ある。
ただ、
剥離の激しいものが多いのと三猿がちゃんとわからないものも多い。
西側には、
6基の青面金剛塔。
こちらはこの中では1番古い、
天保十五年(1844年)のもの。

続いて、
弘化三年(1846年)のもの。

こちらも弘化年間のもので、
弘化五年(1848年)のもの。

こちらは、
嘉永三年(1850年)のもの。

次は、
嘉永二年(1849年)のものが2基。
こちらは、
お顔がわからない。

こちらは、
何とかわかる感じ。

東側には、
三基の青面金剛塔。
こちらは、
嘉永三年(1850年)のもの。

この中では、
1番新しい嘉永四年(1851年)のものが2基。

どちらも欠損していて、
お顔がわからない。

この百庚申からは離れたところにも、
青面金剛塔。
百庚申のすぐ脇にあるのが、
大正四年(1915年)のもの。

その奥にあるのが、
良い感じで残っている文化十年(1813年)の青面金剛塔。




その右脇には、
文化四年(1807年)の文字青面金剛塔。


奥にあるのも、
多分寛政九年(1797年)の文字青面金剛塔。

灯籠は三対あるが、
社殿に1番近いものは庚申灯籠。
左は宝暦四年(1754年)のもので、
奉待庚申供養為二世安楽也とある。

右は天保十一年(1840年)のもので、
多分同じ文言が刻まれている。

手前の灯篭は、
明治二十四年(1891年)のもの。

右脇には年紀なしの琴平神社参拝記念碑と、
嘉永六年(1853年)の文字庚申塔。

奥には社寺関係碑や、
昭和三十二年(1957年)伊勢代々御神樂奏奏記念碑や昭和三十四年(1959年)出羽三山記念碑。

一番手前の灯籠は伊勢大々講と刻まれた、
年紀不明の台座だけが残っている。


社殿周りにもいろいろあって、
左手から時計回りに見ていこう。
先ずは、
三峯神社碑と木祠に奥に出羽三山参拝記念碑と伊勢講碑。

不明の石祠と、
やはり不明の石塔(高野山村講中とある)。

真ん中に官幣大社月山神社参拝記念、
両脇に官幣小社羽黒山神社・官幣小社湯殿神社と刻まれた昭和六年(1931年)出羽三山記念碑。

自然石型、
明治十三年(1880年)の阿夫利神社碑。

木祠があって、
2基の石祠。

見てみると、
寛政二年(1790年)の雷神宮の石祠。


次は、
石造物が4基並んでいる。

明治三十九年(1906年)、
山神宮。

元治元年(1864年)、
多分山神宮であろう不明の石塔。

安政四年(1857年)、
これも多分山神宮であろう不明の石祠。

享和三年(1803年)、
山神宮。

更に、
3基の石造物。

万治二年(1659年)、
板碑型庚申塔。

宝永三年(1706年)、
山王祠。

元禄十二年(1699年)、
三猿型庚申塔。


不明の石祠に、
星梅鉢紋の紋章がきれいに残っている天神宮。

木祠には、
昭和三十?年(1955-1964年)の水神宮の石祠が祀られている。



というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
高野山地区から周辺スポットということで高野山 香取神社、
前回の岡発戸新田 八幡神社からだと自転車で4分ほど、
新四国相馬霊場八十八ヶ所36番の滝前不動からでも7分くらいのところにある。
ここはやはり百庚申と香取神社1号墳と2号墳と大銀杏が見どころだが、
他にもいろいろとあるのでなかなか見応えがある神社となっている。
社殿前の二本の銀杏の木は、
まるで鳥居みたいで面白い景色となっていて好きな眺めだ。
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