中峠 湖北一里塚

中峠 湖北一里塚

中峠

さて、
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング中峠地区

中峠はこんなところ

中峠なかとうげではなくて、
なかびょうと読む。

名前の由来は、
例によって諸説ある。

例えば村境に立てる境木のことを標(ひょう)と読む古いことばから転じて、
峠や境を意味する言葉となったという説。

または地形が馬の背のようになっていて、
そのような地形を峠(びょう)と呼ぶようになったという説などなどまあ答えはない。

中峠MAP

この中峠地区は、
地図だとこんな感じ。

札所が、
4つもある地区
だ。

他にもこの地区はかなりいろいろあって、
周辺スポットの宝庫。

今回は札所ではなく、
その周辺スポットの湖北の一里塚

東我孫子の次の一里塚

我孫子市旧成田街道の1番目の塚は、
東我孫子の一里塚

そこから一里(約3.927キロメートル)のところにある次の一里塚が、
中峠にある湖北の一里塚

中峠 湖北一里塚

こちらには、
説明板がある。

中峠 湖北一里塚

湖北一里塚

江戸時代になると幕府によって江戸と地方を結ぶ主要道である「五街道」と、
それに次ぐ「脇往還」が整備されました。
「陸前浜街道」は江戸と徳川御三家が納める水戸とを結ぶ脇往還の1つで、
五街道である奥州・日光道中の千住宿に始まり、
新宿(葛飾区)・松戸・小金・我孫子の宿場を抜け水戸を目指しました。
我孫子市内では、
我孫子-布佐間の国道356号線とほぼ重複するルートが取られていましたが、
天和(1680年)の頃、
我孫子第一小学校北側三叉路から柴崎神社前を通過し取手宿に向かうルートに変更になり、
それより以東の古いルートは「成田道」と呼ばれるようになりました。
江戸時代の街道には目印として約4キロごとに「一里塚」が設けられました。
一里塚には榎の木が植えられている場合が多く、
これは榎の根で塚を保持しようとしたためと言われています。
我孫子市内には、
我孫子(台田)・東我孫子(東我孫子駅南側)・湖北(当地)・布佐(東消防署付近)の4ヶ所に一里塚が設けられましたが、
現在まで塚として残っているのは東我孫子と湖北の2例のみです。
千葉県内でも塚が残るものは極めてまれで、
行きかう旅人とともに時代の移り変わりを見つめた貴重な史料となっています。

2007年2月 我孫子市教育委員会

湖北一里塚 説明板

ここもその姿を残してはいるが、
目の前を国道365号線が走り周りも囲まれた感じなので一里塚らしさ東我孫子の方がある

ただ、
ここは一里塚と千葉県昭和九年(1934年)の石碑以外にもいろいろある。

いろいろあるので、
そちらに目を奪われると一里塚を見落としてしまう。

先ず、
お堂がある。

中峠 湖北一里塚


中には、
弘法大師?。

中峠 湖北一里塚

千葉県昭和九年(1934年)の石碑と、
その奥は安政四年(1857年)の文字庚申塔

中峠 湖北一里塚

明和六年(1769年)
大乗妙典塔

中峠 湖北一里塚

塚の上には、
殆ど木がない。

中峠 湖北一里塚

ないというか切られていて、
そうでなければ随分印象が違うのだろうけどね。

中峠 湖北一里塚

というわけで…

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は中峠地区

東我孫子のものとは違って、
周辺にいろいろあるが一里塚っぽさは東我孫子の方がある。

場所柄仕方ないのだろうが、
窮屈な感じは否めない。

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