小文間 大日堂
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は取手市小文間地区から。
第72番札所、
小文間 大日堂を訪ねる。
小文間 大日堂は、
大日坂にさしかかる左手にある。
入口の坂の始まりのところには、
昭和三十三年(1958年)の幟架と年紀不明の道標。
その奥の境内と同じ高さのところに、
石造物が並んでいる。
1番手前から、
年紀不明の二十三夜塔と辛うじて読める石塔。
次が、
これも年紀不明の自然石型の文字庚申塔。
庚申塔の下には、
三猿がいるんだけれど立体的なものではないのは初めて見た気がする。
次が享保十二年(1727年)と宝永六年(1709年)、
青面金剛塔。
その横が宝暦五年(1755年)と元禄十六年(1703年)、
文字庚申塔。
百庚申などなど
その先には、
嘉永四年(1851年)の青面金剛塔を先頭に百庚申。
他と同じように、
青面金剛塔の間に庚申塔と彫られた駒形の文字塔が並ぶ。
こちらの年紀不明の青面金剛塔は、
上半分がない。
この辺りは、
嘉永六年(1853年)のもの。
この辺りは、
嘉永七年(1854年)のもの。
この辺りは、
安政二年(1855年)のもの。
青面金剛塔は、
文久三年(1863年)。
隣の青面金剛塔は、
安政二年(1855年)。
その先には、
下に文政十三年(1830年)の二十三夜塔。
奥に、
大正六年(1917年)の月讀神社塔。
右端に見えるのが、
享保十四年(1729年)の想村念佛中とあるもの。
百庚申の残りは、
逆側に並んでいる。
先頭は万延元年(1860年)、
青面金剛塔。
そのあとには、
安政六年(1859年)と万延元年(1860年)の文字庚申塔が並ぶ。
更に、
安政六年(1859年)・四年(1857年)・三年(1856年)。
安政四年(1857年)、
青面金剛塔。
安政五年(1858年)、
青面金剛塔。
嘉永五年(1852年)、
青面金剛塔。
先には、
文化六年(1809年)の二十三夜塔と宝暦十年(1760年)の如意輪十九夜塔。
享保二年(1717年)と元禄十六年(1703年)、
如意輪十九夜塔。
天和二年(1682年)如意輪十九夜塔と元禄二年(1689年)大日如来、
年紀不明の地蔵尊。
3基の念仏塔を乗せた壇
奥正面には、
3基の念仏塔を乗せた壇。
それぞれ、
年記不明・寛永八年(1631年)・寛永十年(1633年)。
大日堂
その右には、
大日堂。
内部は、
こんな感じ。
大日如来像が中央に安置され、
左に地蔵菩薩と右は閉じられていてわからず。
不動堂
壇の左手には、
不動堂。
中には、
不動明王像。
これは、
嘉永四年(1851年)のもの。
不動堂の左には、
文政十年(1827年)巡拝塔。
その横には、
昭和十三年(1938年)大師堂再建記念碑。
光音堂
1番手前には、
光音堂。
手前の石灯籠の残骸は、
明治十一年(1878年)のもの。
横の手水鉢は、
文化九年(1812年)のもの。
奥には、
享保七年(1722年)の札所塔。
72番
不動堂と光音堂の間にあるのが、
72番の大師堂。
内部は、
こんな感じ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
取手市小文間地区。
第72番札所、
小文間 大日堂を訪ねた。
ここには久しぶりの百庚申を始め、
1600年代後半の天和や元禄時代の石造物も見られる。
なかなかの充実ぶりで、
見応えがある。
コメント