東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回
さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
ここまでは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所6・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
・柳戸地区
札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
札所2・掛所1・元札所1
・若白毛地区
札所3・元札所1
・大井地区
札所2・元札所1
・五條谷地区
札所2・元札所1
・金山地区
札所2
・藤ヶ谷地区
札所3・番外1
・藤ヶ谷新田地区
札所1
・大島田地区
札所2・元札所1
その旧沼南地域17地区のうち、
15地区までは進んだ。
まわった札所は43・元札所9・掛所7・番外1、
となる。
それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の16地区目になる高柳地区。
ここは、
藤ヶ谷新田地区の下・藤ケ谷地区の左隣あたり。
地図だと、
こんな感じ。
この高柳地区には、
東葛印旛大師の札所が6つある。
高柳地区
①念仏堂跡 3番札所
②善龍寺 2番札所
③福寿院 27・82番札所
④原庵堂 23番札所
⑤高野堂 39番札所
今回は、
高野堂第39番札所。
その前に、
寄り道。
高柳の石塔
高柳地区は、
札所以外の場所にも石塔・石仏があちこちに見られる。
全てを網羅はできていないだろうけど、
結構あちこち周ってみた。
沼南高柳高校入口交差点の庚申塔
県道8号船橋取手線の沼南高柳高校入口交差点の角に、
3基の石仏がある。
右から、
享保十四年(1729年)の六臂合掌青面金剛塔。
真ん中は、
年不明の十九夜塔。
左も、
年不詳の十九夜塔。
新堀霊園石仏
沼南高柳高校入口交差点からはすぐのところにある、
新堀霊園。
寛延二年(1749年)、
延命地蔵尊。
享和三年(1803年)・寛政十二年(1800年)などの、
馬頭観音座像。
一緒に並んでいるのは、
馬頭観音文字塔。
御嶽神社の石祠
切通しの坂の途中にあるのが、
御嶽神社。
社務所の右に鳥居があって、
正面には高柳社と台座に刻まれた石祠。
その周りにはいくつもの石祠があり、
その区画から離れたところにも1基。
そして、
明治20年(1887年)の不動明王石像。
その下には、
昔は水を吐いていた感じの竜頭。
ずっと飛行機のエンジン音みたいなものが聴こえていたが、
すぐ近くが海上自衛隊下総航空基地だった。
こもれびの坂下の庚申塔
かにうちの森の脇のこもれびの坂下にあるのが、
2基の庚申塔。
1基は、
宝暦十一年(1761年)のショケラ持ち青面金剛塔。
もう1基は、
まだ新しい昭和63年(1988年)高柳老人クラブの青面金剛塔。
沼南の歴史をあるく37 高柳富士塚
東武アーバンパークライン高柳駅に近い富士塚は、
沼南の歴史をあるく37。
ここでも、
沼南の歴史をあるくではなく沼南町の歴史をあるくと町が付いている。
この富士塚は約5メートルほどの高さがあり、
沼南の歴史をあるく37 高柳富士塚
頂上には文政十二年(一八二九)に建立された「仙元大菩薩」塔が祀られています。
右下の小塚の御嶽石尊大権現、
大天狗、
小天狗などと彫られた石は富士山頂の峰々を現わしたものです。
5メートルほどの高さのある小山の富士塚は、
元々は西向原古墳という前方後円墳でその後円部を富士塚としたもの。
鳥居が、
2つある。
大きな鳥居の右の小さな鳥居の奥にあるのが、
文政十二年(1829年)の石尊大権現塔。
鳥居の先の右には、
富士山だろうか?
大きな方の鳥居の先は、
石段。
上がっていくと、
何やらある。
右から、
文政十二年(1829年)の仙元大菩薩。
左は御實前で、
中央には鏡のある石祠。
富士塚手前の庚申塔
富士塚手前に、
5基の庚申塔が並ぶ。
左から、
慶応二年(1866年)ショケラ持青面金剛塔。
天保五年(1834年)、
ショケラ持青面金剛塔。
文政七年(1824年)、
ショケラ持青面金剛塔。
宝暦三年(1753年)、
ショケラ持青面金剛塔。
寛政四年(1793年)、
六臂合掌青面金剛塔。
原庵堂第23番札所手前の石仏・石塔・石祠
富士塚から原庵堂 23番札所に向かう途中、
道路沿いの立派な覆い屋にある4基。
左から、
明治14年(1881年)の山神塔。
手には、
鉞を持っている。
文政十一年(1828年)、
山神宮の石祠。
延宝三年(1675年)、
金剛界大日像。
1mくらいあるだろうか、
意外に大きい。
年不明、
神明霊神碑。
サイクルショップ・RAMBLE信号脇の庚申塔
サイクルショップ・RAMBLEがある、
信号脇の庚申塔。
左から、
元禄四年(1691年)ショケラ持ち青面金剛塔。
顔が正面だけではなく、
左右にもある三面のものだ。
元禄十年(1697年)、
青面金剛塔。
二手合掌のもので、
いわゆる六臂ではない。
宝永三年(1706年)、
延命地蔵塔。
どれも花がちゃんと添えられていて、
今でも大事にされている感じが良い。
三叉路中洲の庚申塔
サイクルショップ・RAMBLEの近く、
三叉路の中洲にも庚申塔がある。
宝暦六年(1756年)の道祖神は、
道路神と刻まれている。
後の4基は青面金剛塔で、
道祖神の隣は元禄十年(1697年)のもの。
右手が欠けてしまっているが、
ショケラを持っていたんだろうか?
続いて、
宝永四年(1707年)のもの。
お顔の右側が、
若干欠けている。
その次は、
享保七年(1722年)のもの。
こちらは、
上の部分が少し欠けている。
まあ、
どれも300年以上も昔のものだからこれだけ残っているだけでもスゴイと思う。
1番左のものは、
昭和六十一年(1986年)のもの。
なので、
まだまだ全然キレイだ。
貯水槽脇の勢至菩薩
この三叉路中洲の向かい道路脇の貯水槽のところに
覆い屋がある。
その中には、
元禄八年(1695年)の勢至菩薩立像。
その脇には、
文化元年(1804年)の廿三夜供養塔。
さらに隣に、
まだ新しそうな石仏。
高野堂東葛印旛大師第39番
さて、
東葛印旛大師である。
高野堂第39番は、
明らかに民家の敷地内にある。
ただ道路に面して階段があるので、
近くまで行くことができる。
大師堂の左には、
出羽三山塔。
大師堂脇には、
石塔の残骸かな?
近くには、
亀もいる。
実際の四国八十八所霊場第39番は、
延光寺。
所在地:高知県宿毛市平田町中山
創建年:(伝)神亀元年(724年)
開基:(伝)行基
山号:赤亀山
院号:寺山院
寺号:延光寺
宗派:真言宗智山派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣るわが身を 助けましませ
原庵堂東葛印旛大師第23番札所
東葛印旛大師第23番は、
原庵堂(墓地)というか隣接している美園園の敷地内にある。
写真手前にある石塔は、
笈を背負った正徳四年(1714年)の六部塔。
大師堂周りには、
寛政十二年(1800年)の丸彫りのお地蔵様。
文化十三年(1816年)や、
文久元年(1861年)の馬頭観音像などなどが並んでいる。
実際の四国八十八所霊場第23番は、
薬王寺。
所在地:徳島県海部郡美波町奥河内字寺前
創建年:(伝)神亀3年(726年)
開基:(伝)行基
山号:医王山
院号:無量寿院
寺号:薬王寺
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌:皆人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を あたえましませ
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
高柳地区の高野堂第39・原庵堂23番。
そして沼南高柳高校入口交差点/新堀霊園/御岳神社/こもれびの坂下/富士塚/富士塚近く、
原庵堂第23番札所手前/サイクルショップ・RAMBLE信号脇/三叉路中洲/貯水槽脇の石仏・石塔も一緒に。
東葛印旛大師第23・39番ポタリングMAP
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