J 手賀沼遊歩道 野村正義 山頭火と歩く〔一鉢一傘〕
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野村正義
山頭火と歩く〔一鉢一傘〕
山頭火(種田 正一)は自由律俳句の俳人、
各地を放浪しながら多くの句を詠んだ。
朝から土を拾ふ(朝の土から拾ふ?)
草木塔
行乞途上
川棚温泉
南無観世音おんてしたたる水の一すじ
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
香園寺慈母観音像
水音のたえずして御仏とあり
草木塔
柿の葉
永平寺 三句
うらうら石仏もねむそうな
旅日記
四月二十一日 谷津温泉、一郎居。
谷津温泉
どうしようもないわたしが歩いてゐる
草木塔
鉢の子
昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。
あなたこなたと九州地方を流浪したことである。
鉦たたきよ鉦をたたいてどこにゐる
草木塔
鴉
雨乞
岩が岩に薊咲かせている
草木塔
鉢の子
昧々居
何が何やらみんな咲いている
草木塔
行乞途上
春が来た水音の行けるとこまで
草木塔
旅から旅へ
長門峡
木の芽草の芽あるきつづける
草木塔
鉢の子
昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。
法堂あけはない明けはなれてゐる
草木塔
柿の葉
永平寺 三句
横峯ハ雲ニカクレテ南無遍照金剛
(横峰は雲にかくれて南無大師遍照金剛)
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
やっぱり一人がよろしい雑草
草木塔
其中一人
或る友に
草のしげるや礎石ところどころのたまり水
草木塔
柿の葉
毛越寺
横峰ハ雲ニカクレテ南無大師遍照金剛
(横峰は雲にかくれて南無大師遍照金剛)
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
まこと山国の山ばかりなる月の
草木塔
旅から旅へ
飯田にて病む 二句
ここまでを来し水を飲んで去る
草木塔
柿の葉
平泉
しくるるや土をふみしめてゆく
(しぐるる土をふみしめてゆく)
草木塔
鉢の子
大浦天主堂
朝は晴れ夕べはくもる旅から旅へ
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
野宿いろ/\
松風すずしく人も食べ馬も食べ
草木塔
行乞途上
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
草木塔
鉢の子
昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。
しぐるるや人のなさけに涙ぐむ
行乞記
十一月十一日 晴、時雨、――初霰、滞在、宿は同前。
塔をめあてにまっすぐまゐる
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
雪ふる一人一人ゆく
草木塔
其中一人
秋空ただよふ雲の一人になる
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
さて、どちらへ行かう風がふく
草木塔
旅から旅へ
長門峡
霽れて元日の水がたたへていっぱい
其中日記
一月一日
けふも一日風をあるいてきた
草木塔
行乞途上
しぐるるや死なないでゐる
草木塔
鉢の子
昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。
どうしようもないわたしが歩いてゐる
草木塔
鉢の子
昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。
あなたこなたと九州地方を流浪したことである。
庵主はお留守木魚をたたく
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
山里はひたむきに柿の赤くて
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
ほろほろほろびゆくわたしの秋
草木塔以降
昭和十四年九月~十二月
秋風、行きたい方へ行けるところまで
草木塔
旅心
柿が赤くなって住めば住まれる家の木として
(柿が赤くて住めば住まれる家の木として)
草木塔
雑草風景
もりもり盛りあがる雲へあゆむ
『草木塔』以後
昭和十五年10月、山頭火辞世の一句
梅もどき赤くして機嫌のよい目白頬白
草木塔
旅から旅へ
投げだしてまだ陽のある脚
草木塔
鉢の子
生えて伸びて咲いてゐる幸福
草木塔
山行水行
病みほほけて信濃より帰庵
という感じで、
手賀沼遊歩道を進むとあちこちに版画になった山頭火の句がある。
我孫子高校のフェンスでおしまいかと思ったらまだあって、
アンダーパスを抜けて緩い坂を上るところ。
さてどちらに行こうか風がふく
(さてどちらに行かう風がふく)
草木塔
旅から旅へ
長門峡
生き残ったからだ掻いてゐる
草木塔
鉢の子
昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。
こちらにも、
作品の案内板。
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