手賀興福院と力石と手賀ばやしと東葛印旛大師第75・77・85番ポタリング

東葛印旛大師 興福院 第75・77・85番札所

手賀城址からすぐの興福院

さて、
今回が3回目になる東葛印旛大師88ポタリング

手賀地区としては、
2回目。

前回の手賀沼城跡にある第64番札所に続いては、
すぐ近くにある興福院

手賀地区
  ①手賀稲荷社 64番札所
  ②興福院 75・77・85番札所
  ③手賀小学校・西光院跡 86番札所
  ④兵主八幡両神社 13番札所
  ☆生繁大師堂 掛所
  ☆興福院平和公園共同墓地 掛所

本当に近くて、
手賀城跡の石碑から伏見稲荷大明神までよりも近いくらいだ。

ここには、
3つも札所がある。

何処か他から移転してきたとかなんだろうか?
第75・77・85番の3つだ。

沼南の歴史をあるく 1

沼南の歴史をあるく1

真言宗豊山派寺院である龍猛山 興福院 園城寺は、
手賀沼城跡とは高台続きになっている。

かつての城域の一部(二郭目)であった
と考えられている。

大同年間(806~810年)に創建、
弘仁十一年(820年)に十一面観音を本尊とし竜猛山無薬院と称して創建したと伝えられる。

十一面観音

苦しんでいる人をすぐに見つける為、
頭の上に11の顔があり全方向を見守っている。

十種勝利(現世利益)と、
四種果報(死後成仏)という様々なご利益がある。

十種勝利(現世利益)は、

・離諸疾病

 (病気にかからない)
・一切如來攝受

 (一切の如来に受け入れられる)
・任運獲得金銀財寶諸穀麥等

 (金銀財宝や食物などに不自由しない)
・一切怨敵不能沮壞

 (一切の怨敵から害を受けない)
・國王王子在於王宮先言慰問

 (国王や王子が王宮で慰労してくれる)
・不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身

 (毒薬や虫の毒に当たらず、
  悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
・一切刀杖所不能害

 (一切の凶器によって害を受けない)
・水不能溺

 (溺死しない)
・火不能燒

 (焼死しない)
・不非命中夭

 (不慮の事故で死なない)

四種果報(死後成仏)は、

・臨命終時得見如來

 (臨終の際に如来とまみえる)
・不生於惡趣

 (悪趣、

  すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
・不非命終

 (早死にしない)
・從此世界得生極樂國土

 (今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

興福院 山門

道を進むと、
取り残されたかのようにぽつんとある山門が見える。

その横には、
沼南の歴史をあるく白い標柱

沼南の歴史をあるく1

沼南の歴史をあるく1 興福院・手賀城跡

興福院は十一面観音を本尊に祀る真言宗豊山派の古刹で、
戦国末期のは原氏の帰依をうけました。
この寺域を含めた一帯は手賀城跡の土塁や空堀が残り、
当時をしのばせています。

沼南の歴史をあるく1 興福院・手賀城跡

興福院敷地内

興福院本殿

興福院敷地内に第75・77・85番の大師堂はあるが、
先ずはそれ以外のことを少し。

山門をくぐると、
正面には社殿

寶篋印塔

右には安永五年(1776年)寶篋印塔で、
高さ5.5mの立派なもの。

寶篋印塔

一般的には、
供養塔や墓碑塔として建てられる塔。
様々な祈願などを意図して建てられる場合もある。

興福院寶篋印塔

塔身には、
4つの種子が刻まれている。

●キリーク(ह्रीः)
●アク(अः)
●ウーン(हूं)
●タラーク(त्राः)

種子

密教において、
仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)。

台石には、
創設した方々の名前が刻まれている。

興福院寶篋印塔

手前には、
なぜか相輪が置かれている。

コレって、
以前はなかった気がする。

その横には、
1度割れてしまったのであろう石板がある。

あの3.11の地震で崩れて、
その後修復したとある。

もしかすると手前のものが、
てっぺんにあったものなのかもしれない。

でもわざわざ換える必要があったのか?
それともこの相輪だけ別のものなのか?

せっかくの石板は、
何も教えてはくれない。

興福院六地蔵石幢

社殿に向かって寶篋印塔の斜め前には、
宝暦十二年(1762年)六地蔵石幢

六地蔵石幢

地蔵菩薩は弥勒菩薩が娑婆世界に現れて庶民を救済するまでの間、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)衆生を浄土へ導く役割を担う。
その為に六つの分身を考えて六地蔵として信仰した。

途中でつなぎ合わせた跡があるが、
以前に折れてしまったのだろうか?

六面のお地蔵さまのお顔が、
見えなくなっているものもある。

その分、
うしろにはまだ新しそうな六地蔵が並んでいるが。

興福院延命地蔵

本堂の右には、
元禄十年(1967年)延命地蔵

延命地蔵

延命(寿命を延ばすこと)、
利生(仏・菩薩 が衆生に利益を与えること/その利益)を誓願する地蔵尊。
新しく生まれた子を守りその寿命を延ばすという。
後世は短命・若死にを免れるため信仰された。

小さいけれど、
屋根がちゃんとあるんだな。

興福院水盤など

本殿右手奥は墓地になっていて、
手水盤供養佛像・石碑が並んでいる。

近くに興福院平和公園共同墓地があるので、
新しいものはそちらで古いものがこちらに遺されているのだろう。

第75・77・85番札所

さて、
この興福院にある東葛印旛大師札所は第75・77・85番の3つ。

3つの大師堂が、
1つ屋根の下に横一列に並んでいる景色はちょっと面白い。

東葛印旛大師 興福院 第75・77番標石

札所を示す標石のうち、
75番は山門の右側にある。

側面には、
讃州善通寺

讃州は現在の香川県
善通寺は実際の四国八十八所霊場第75番札所のお寺。

文化五戊辰歳二月十一日とあるから、
1808年と210年以上も前のものだね。

十千(つちのえ)、
十二支(たつ)の年。

将軍で言えば、
徳川家斉の時代。

東葛印旛大師 興福院 第75番標石

77番は、
同じく山門の左側にある。

こちらには讃州道隆寺
文化五辰四月吉日明王院

手賀にもかつてあった明王院は、
廃寺になっている。

その際、
大師堂がこちらに移されたのだろう。

東葛印旛大師 興福院 第76番標石

85番は?というと、
大師堂の右にあるのがそうなのだろう。

東葛印旛大師 興福院 第85番標石

その隣にも標石があって、
新四國六十九番と読める。

例の、
謎の文化十酉年(1813年)なんだろうか?

東葛印旛大師 興福院 標石

こういうのがあると、
ややこしくなって混乱するけどまあ仕方がない。

ややこしさついでに、
上の写真の奥に映っている大師堂の御詠歌額には第44番と書かれている。

標石はないが、
これも謎である。

更にそれ以外にも大師堂の左側には、
いくつかの標石がある。

東葛印旛大師 興福院 標石

1つは新四國七十番
と読めるもの。

東葛印旛大師 興福院 標石

残り2つの内の1つは、
新四國廿三番

薬王寺、
第23番だね。

もう1つは、
新四國六十までは読める。

側面には豫州香苑寺移疱瘡神とあるので、
第61番札所香園寺だろう。

謎のものが多いが、
わからないし手に負えないしまあスルーしよう。

さて、
ここにある第75・77・85番札所も実際の四国八十八所霊場の写し。

第75番札所は、
弘法大師誕生の地である五岳山 誕生院 善通寺

東葛印旛大師 興福院 第75番札所
東葛印旛大師 興福院 第75番札所

所在地:香川県善通寺市善通寺町
創建年代:(伝)大同2年(807年)
開山:佐伯田公
山号:五岳山
院号:誕生院
寺号:善通寺
宗派:真言宗善通寺派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌:我すまばよもきえはてじ善通寺ふかきちかいの法のともしび

第77番札所は、
眼なおし薬師さまで有名な桑多山 明王院 道隆寺

東葛印旛大師 興福院 第77番札所
東葛印旛大師 興福院 第77番札所

所在地:香川県多度津町堀江
創建年代:(伝)天平勝宝元年(749年)
開山:(伝)和気道隆
山号:桑多山
院号:明王院
寺号:道隆寺
宗派:真言宗醍醐派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌:願いをば仏道隆に入りはてて菩提の月を見まくほしさに

第85番札所は、
弘法大師入唐前この山に登り8つの焼栗を埋めて旅の無事を祈願した五岳山 誕生院 善通寺

東葛印旛大師 興福院 第85番札所
東葛印旛大師 興福院 第85番札所

所在地:香川県高松市牟礼町牟礼字八栗
創建年代:(伝)天長6年(829年)
開山:(伝)空海(弘法大師)
山号:五剣山
院号:観自在院
寺号:八栗寺
宗派:真言宗大覚寺派
本尊:聖観音菩薩
真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:煩悩を胸の智火にて八栗をば修行者ならで誰か知るべき

手賀ばやしと力石

手賀ばやし説明板

ちなみにこの興福院は、
毎年7月の第一日曜日に旧沼南町手賀地区の夏祭り手賀ばやしが開かれるところ。

最近は、
コロナの影響で中止になっているみたいだけど。

境内での神事の後で人々に引かれた神輿や山車が、
近くの兵主八幡神社に向かいその復路に地区各所で演奏されるのが手賀ばやし

人々の無病息災と豊作を願って、
アンバサマの愛称で親しまれてきた。

この祭礼は現在の霞ケ浦・印旛沼・手賀沼がつながっていて大きな内海を形成していた頃から、
沿岸一帯に広まった大杉神社(茨城県桜川村阿波)信仰の流れを受け継ぐもの。

アンバサマの尊称は、
大杉神社の所在地阿波から出ている。

だけど手賀地区には、
大杉神社の分社等は一切無い。

ただ前回の手賀城址に大杉神社御神田の石碑があったように、
大杉神社とは何かしら密接なつながりがあったのだろう。

手賀ばやし構成

1 おはやし
2 ニンバ
3 ショウゼン
4 カマクラ
5 シチョウメン

手賀ばやし平成15年(2003年)には、
柏市指定無形文化財へに指定されたそうだ。

そのことを説明する、
案内板があった。

力石

敷地内の片隅には、
力石

力石

もちろんあしたのジョーりきいしではなくて、
ちからいしだ。

祭礼などの集まりの際にこの石を持ち上げ、
その力強さを神仏に奉納したというもの。

力石

三十六メと刻まれたものがあるが、
これは石の重さ。

は貫のことのようで、
36貫=135kg

持ち上げてみようかなとちょっと思ったけど、
さすがに腰がやられるに決まっているということでやめておいた。

というわけで…

今回の東葛印旛大師シリーズ2回目は、
興福院にある第75・77・85番札所

ついでに敷地にある、
ちょっと気になったものも一緒に。

東葛印旛大師88ヶ所第75・77・85番ポタリングMAP

過去分は☆アイコン、
今回分は自転車アイコン。

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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