手賀掛所生繁大師堂と手賀小学校・西光院跡と東葛印旛大師第86番ポタリング

東葛印旛大師 西光寺跡 第86番札所

2つの跡

手賀地区東葛印旛大師88ポタリング
今回は第86番と近くにある掛所

手賀地区
  ①手賀稲荷社 64番札所
  ②興福院 75・77・85番札所
  ③手賀小学校・西光院跡 86番札所
  ④兵主八幡両神社 13番札所
  ☆生繁大師堂 掛所
  ☆興福院平和公園共同墓地 掛所

興福院を後にして道を左に曲がると、
またまた金村商店となる。

この佇まいは、
やはり良い。

金村商店

そのまま真っすぐ、
右にカーブすると民家がある。

左に折れて坂を下ると、
右側の少し高くなっている小さなスペースに石祠やら石碑が並んでいる。

この2つの意味での跡にあるのが、
第86番札所である。

1つの跡の意味は、
真言宗豊山派寺院の西光院跡

もう1つの跡の意味は、
手賀小学校開校跡だ。

手賀小学校開校跡

手賀小学校開校跡碑

手賀小学校というと、
平成26年に廃校になった茨城県行方市手賀の手賀小学校もあるが関係ない。

手賀小学校は、
現在手賀東小学校として存続している小学校の元だ。

明治6年3月15日に、
手賀・片山・布瀬を統合して開校したのが始まり。

明治5年に学制が発布されているから、
日本で最も古い学校の1つになるわけで何気にスゴイ。

学制

明治5年8月2日(1872年9月4日)に太政官より発された、
日本最初の近代的学校制度を定めた109章からなる教育法令のこと。

フランスの学制にならって全国を学区に分け、
それぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画、

身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。

現在の手賀東小学校は、
少し離れた手賀地区の端っこにある。

近所に沢山通う子供が居るとは思えない場所にあるが、
やはり小規模特認校となっている。

児童数が少ない学校を特認校と指定して少人数での教育の良さを生かし、
個に応じた指導や特色ある教育を行う学校だね。

こういった教育環境での就学を希望する場合、
一定条件のもと市内全域からの入学を認める制度があってその対象校なのだ。

ちなみにこの手賀沼小学校の開校が実際にこの地だったのかどうか?はよくわからないけど、
手賀小学校開校跡の碑が建っているのだから普通はそうなんだろう。

そういえば、
旧手賀教会ではなく新手賀教会の向かいにある狸穴公園には東校建設記念碑がある。

こちらは、
手賀東小学校が最初に建設された記念碑みたいだ。

ところで、
ここは西光院跡でもあるのだ。

西光院跡

東葛印旛大師第86番札所

西光院は廃寺になって、
本尊阿弥陀如来は大師堂に合祀されたみたいだ。

阿弥陀如来

阿弥陀とは、
無量寿・無量光という梵語の音訳されたもの。

限りない生命を有し、

無限の光明を持つ仏、

という意味。

かつてあった西光院の創建年代等は不詳だけど、
永禄9年(1566年)示寂の快賢という僧が住持を務めていたことが判明している。

なので、
それ以前にはもう創建されていたわけだね。

ちなみに本尊が合祀された大師堂がこの第86番らしいが、
そうなると元々のこの大師堂は別の場所にあったことになる。

もしくは大師堂が元々ここにあって
西光院が別の場所にあったことになる。

もしくはどちらも異なる場所で、
最終的にここを跡とし大師堂も移したのかもしれない。

まあ詳しいことはよくわからないが、
いずれにしても今ここには東葛印旛大師第86番があることだけは間違いない。

東葛印旛大師第86番

東葛印旛大師 西光寺跡 第86番札所

そんなこんなで、
葛印旛大師第86番だ。

東葛印旛大師第86番札所

第86番ですよ、
という標石がある。

讃州志渡寺
とある。

興福院の時も出てきたけれど讃州は現在の香川県
志渡寺は実際の四国八十八所霊場第86番札所のお寺。

また、
文化四丁卯稔六月廿二日とある。

文化4年は1807年
この時の干支は丁卯(ひのとう)なんだね。

文化四丁卯稔と六月廿二日と刻まれた間、
要は真ん中には得法快心法師菩提とある。

1つ屋根の下に2つの祠があるのは、
そういうわけで片方(左)が東葛印旛大師第86番大師堂でもう片方(右)が阿弥陀堂だからだ。

札所番号御詠歌札も、
文字が消えてしまって読むことができない。

東葛印旛大師 西光寺跡 第86番札所

さて実際の四国八十八所霊場では、
第86番札所海女の玉取り伝説が伝えられる志渡寺

海女の玉取り伝説
竜神に奪われた宝物面向不背の玉を取り戻す為に、
やって来た藤原鎌足の息子・藤原不比等、
地元漁師の娘である海女と恋に落ち子供を儲ける。
海女は事情を知り死を覚悟で海の中の竜宮へと向かう。
竜宮で竜神から面向不背の玉を取り戻そうとして襲われた海女、
護身の短刀で自らの乳房を切り裂き、
その中に玉を押し込め海面に辿り着く。
そして不比等に抱きかかえられ息を引き取る。

所在地:香川県坂出市
創建年代:(伝)推古天皇33年(626年)
開山:(伝)尼凡薗子
山号:補陀洛
院号:清浄光院
寺号:志度寺
宗派:真言宗善通寺派
本尊:十一面観音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りのこえを 耳にふれつつ

子安観音

西光院跡子安観音

大師堂と阿弥陀堂の左手には、
やはり屋根の下に子安観音がある。

子安観音

安産や幼児の成長を守護するという観世音菩薩。

隠れキリシタンが礼拝した聖母像も子安観音という。
言われてみれば確かに近いものがある。
母が膝の上に幼児を抱く姿は同じだ。

その間には、
万人講(大勢でつくる講中)と台座に書かれた石祠

西光院跡

子安観音は、
3体。

残骸

子安観音の建物の裏手には、
多分崩れてしまったんだろう石碑石祠の残骸が放置されている。

他でもよく見る景色ではあるが、
やはりこの扱われようは少しばかり残念な気がする。

生繁大師堂までの日本の原風景

稲架掛け

西光院跡の第86番札所を後にして、
更に坂を下っていく。

この辺りは、
まさに日本の原風景という感じで何とも良い感じだ。

手賀猫

以前訪れた際にも猫を見掛けたが、
今回もやはり見掛けた。

柿の木

柿の木や、
稲架に掛けた稲の束。

稲架掛け

束ねた稲は、
稲架に掛けて2週間程度天日と風で乾燥させる。

この自然乾燥のことを、
稲架掛けとか稲掛とか稲架とかと言う。

刈り取ってすぐの籾の水分は、
20~25%。

これだと水分が多すぎてお米が変質するので、
15%くらいになるまで乾燥させるのだ。

乾燥で固くなって、
籾摺りのときに砕けにくくなるというメリットもあるようだ。

あと干すことで、
アミノ酸と糖の含量が高くなるようだ。

更に稲を逆さまに吊るすと、
藁の油分や栄養分や甘みが最下部の米粒へ降りて栄養とうま味が増すと言われている。

手間がかかるので乾燥機で行ってしまうことが増えているようだけど、
この稲架掛けのある風景はやはり良い。

そんな秋晴れの素敵な景色の中、
気持ち良くペダルを漕いでいく。

生繁大師堂

生繫掛所

坂を下ったところを右に曲がると、
右手に窪みがありそこに大師堂がある。

掛所の、
生繁大師堂だ。

生繁家の脇にあるから、
生繁掛所なんだろう。

掛所は、
要するに番外編みたいなものらしい。

以前第14番札所と間違えてしまったことがあるが、
あくまでも掛所である。

生繫掛所

ただ御詠歌額には、
常楽の 岸にはいつか 到らまし 弘誓の船に 乗りおくれずば とある。

生繫掛所

脇の石碑にもあるように、
ここは掛所でも第14番札所常楽寺の写しの位置付けになっているみたいだ。

東葛印旛大師第14番札所は、
鷲野谷地区真言宗豊山派寺院の善龍寺にある。

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
手賀地区第86番札所生繁大師堂

これで巡った札所は若い番号順でいうと、
第4・75・77・85・86番の5カ所と更に掛所1カ所

次回は、
手賀地区最後の兵主八幡両神社の予定。

東葛印旛大師掛所

ちなみに手賀地区の掛所と言えば、
もう1つ興福院平和公園共同墓地がある。

東葛印旛大師掛所

ここには修行大師像があって、
四国八十八ヶ所1番の写しという位置付けみたいだ。

東葛印旛大師第86番ポタリングMAP

過去分は☆アイコン、
今回分は自転車アイコン。

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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