さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
今のところ訪れたのは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。
その17地区のうち、
8地区。
札所29・元札所5・掛所7、
となる。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所6・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
・柳戸地区
札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
札所2・掛所1・元札所1
それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の9地区目になる若白毛地区。
ここは、
岩井地区と箕輪地区の下で泉地区の隣になる。
地図だと、
こんな感じ。
若白毛地区
①長栄寺 29・30・87番札所
※八坂神社 元30番
沼南の歴史をあるく25 八坂神社・長栄寺
長栄寺とは道を挟んであるのが、
若白毛地区の八坂神社。
ここは、
東葛印旛大師文政期の第30番札所だったところ。
そして、
沼南の歴史をあるく25でもある。
石鳥居の左には、
沼南の歴史をあるく25の白い標柱がある。
八坂神社の本殿は、
沼南の歴史をあるく25 八坂神社・長栄寺
明治九年(一八七六)の造営です。
七月二十三日、
二十四日の夏祭りには「若白毛ばやし」が上演奉納されます。
隣接する長栄寺は盛松山長栄寺という曹洞宗の寺院で、
江戸初期の創建です。
鳥居手前右には、
手水舎。
その奥には、
思兼命と刻まれた石塔。
思兼命はおもいかねのみこと、
思兼神だろう。
❓思兼神❓
日本神話に登場する神。
須佐之男命の乱暴な行いを悲しまれ、
天照大神が隠れ世界が真っ暗になった岩戸隠れの際、
天照大御神を外に引っ張り出すアイデアを出し、
これを見事に成功させた。
その左にある狛犬手前の石碑は、
奉名板(寄付したい人の芳名を掲げ顕彰するための銘板)かな?
鳥居を抜けた左側にも、
奉名板。
右側にも、
また奉名板。
隣に天保十一年(1840年)の石塔があるが、
削られてしまっていて読めない。
その脇には、
文化元年(1804年)の手水鉢がある。
正面には、
本殿覆屋。
扁額には、
もちろん八坂神社。
覆屋の中には、
もちろん本殿がある。
この本殿は、
明治九年(1876年)のもの。
左にも、
少し小さめの覆屋がある。
中には、
やはり本殿がある。
こちらは、
大六天とか荒神さまと呼ばれる大山祇神を祀ったもの。
❓大山祇神❓
大山津見神のことで、
日本書紀では大山祇神とか大山積神、
大山罪神と出てくる。
イザナギとイザナミの間に生まれ、
山の総元締といえる自然神。
どちらの本殿も、
彫刻がかなり素晴らしい。
2つの覆屋の間の後方には、
いくつかの石碑がある。
明治四十二年(1909年)のもので、
大山津見社と刻まれている。
次の大きいのが、
昭和6年(1931年)の出羽三山塔。
その次が昭和31年(1931年)のもので、
天輪王尊と刻まれているが天輪王が何か?は不明。
1番右にある石祠は、
読めず。
右側にも、
八坂神社の扁額のある建物がある。
裏手には、
他にも昭和九年(1934年)の大山富士参拝記念碑。
大正十年(1921年)、
疱瘡大神の石祠などもある。
❓疱瘡大神❓
疱瘡は天然痘のこと。
その疱瘡を擬神化した疫病神が疱瘡神。
そういえば境内に、
若白毛囃子の説明板があった。
沼南町指定無形民俗文化財 若白毛囃子
所在 沼南町若白毛
指定 昭和五十三年二月八坂神社本殿は、
約七尺四方の総欅造りで、
裏側にはお囃子の様子の彫刻があります。
本殿の基礎石から明治九年(一八七六)の銘文がみられ、
この当時の建立と思われます。
若白毛囃子もこの時期に導入された物と思われます。
若白毛囃子は、
八坂神社の夏の例祭(七月二十三。二十四日)に奉納されます。
以前は、
地区内をみこしと山車が巡行していましたが、
今は境内で奉納上演されます。
お囃子は太鼓一名・小鼓二名・鉦一名・笛一名の名で編成されています。舞いは、
獅子舞でお浄めをしたあと、
きつね・ひょっとこ・おかめ・大黒天などつぎつぎとこっけいな舞が披露されます。沼南町教育委員会
若白毛囃子説明板
今も続いているのだろうか?
ただここ最近は中止になっているかもしれないな。
雉子打バス停横の庚申塔群
続いては、
県道282号線沿い雉子打バス停の横の小高くなったところにある庚申塔群。
先ずは、
1番右端から。
宝永五年(1708年)のものなのに、
場所も場所なのに状態の良い六臂合掌青面金剛塔。
続いて、
享保六年(1721年)六臂合掌青面金剛塔。
右のものとは随分顔付が違っていて、
見比べるとなかなか面白い。
三猿は、
皆正面向き。
次は、
明治二十二年(1889年)の駒形社の石祠。
屋根の部分が欠けてしまっているが、
その欠けた部分はちゃんと隣に置かれている。
更に、
寛政六年(1794年)の青面金剛王文字塔。
三猿の真ん中は、
両耳ではなく片耳だけ塞いでいる。
文化十四年(1817年)、
青面金剛王文字塔。
三猿は皆、
正面向き。
1番左端は、
文政九年(1826年)の文字庚申塔。
こちらの三猿は、
左は扇子っぽいものを持っていて右も棒状の何かを持っている。
それぞれ個性があって、
面白い。
雉子打バス停横の庚申塔群の向かい
雉子打バス停横の庚申塔群とは、
道を挟んだ向かい側。
V字路になっているところに、
何やら石塔らしきものがある。
鉄柱で保護されているので見難い上に、
刻まれている文字は読めず。
うっかり見逃しそうになるところにも、
こういうものがあったりする。
このすぐ近くには、
明和七年(1770年)の道祖神の石祠があった。
あとすぐ近くの信号のところには、
赤い鳥居。
下り階段の先には、
木祠があったが何か?は不明。
若白毛地区で見つけた石塔
県道282号線から少し外れたところにある不動堂(若白毛新田集会所)にも、
庚申塔が何基か集められているらしいので向かう。
その前に、
若白毛区民会館に向かう道へ。
なにやら道脇に、
石塔が見えたからだ。
側面の文政九年(1826年)と正面右下の講中は読めるのだが、
真ん中に書かれた文字は奉とか光とか供養塔とか以外が読めず。
上には23文字の梵字が円く連なって陰刻されているっぽいので、
光明真言塔なんだろうか?
若白毛区民会館の空き地の一角に石塔が集まっていたが、
そのうちの1つに大師道道標があった。
明治四十一年(1908年)とある、
指差しの手が刻まれているやつだからそうとわかる。
殆ど読めないが、
微かに五十一番と読める。
51番は日枝神社だから、
この位置からだと長栄寺の次に近いと言えば近いのできっとそうなんだろう。
さて、
県道282号線を挟んで逆の方向に進む。
その道の途中に、
正面の月読尊と台座に講中と刻まれた明治十六年(1883年)の庚申塔を発見。
❓月読尊❓
ツキヨミもしくはツクヨミは、
日本神話に登場する神様。
夜を統べる神と考えられているが異説もある。
道標にもなっていて、
左側面の左 若白毛は読めるがもう片方が読めない。
右側面は、
右 かまがや?ともう1行は読めない。
こうやってたまたま見つけるのは、
知っていて訪れるのとはまた違ってなかなか楽しい。
不動堂(若白毛新田集会所)庚申塔など
さて、
不動堂(若白毛新田集会所)の庚申塔などなど。
地図だと不動堂になっているけど、
行ってみたら若白毛新田集会所。
この集会所は不動堂を兼ねているのか、
入口には鰐口(仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種)が釣ってある。
その敷地内に、
庚申塔などが集まっている。
右から、
道路改修碑。
そして、
宝暦十年(1721年)六臂合掌青面金剛塔。
それにしても、
見慣れてきたのかそれぞれのお顔の違いが面白い。
青面金剛の足が耳みたいに見えて、
一瞬邪鬼がウサギみたいに見えた。
次は、
延宝五年(1677年)の聖観音像庚申塔。
お顔が痛んでいるのは、
少し残念だけど350年以上も昔のものだから仕方がないのか。
三猿は皆、
正面を向いている。
寛政五年(1793年)、
馬頭冠の馬頭観世音像塔。
お顔は、
少しわかりにくい。
三猿も、
模様みたいになっていてわかりにくい。
天保二年(1831年)、
文字馬頭観世音塔。
昭和十年(1935年)、
文字馬頭観世音塔。
長栄寺
長栄寺は、
八坂神社とは道を挟んだところにある。
ここは、
東葛印旛大師第29・30・87番札所。
泉地区の龍泉院の末寺で、
隠居寺だったみたいだ。
開祖は、
寛永七年(1630年)と言われている。
入口には、
不許葷酒入山門。
入ってすぐに、
不明の木祠。
その隣に、
明和五年(1768年)六臂合掌青面金剛塔。
お顔は、
これはこれで印象に残る。
三猿は皆、
正面向き。
続いて、
六地蔵が並ぶお堂。
中央奥には、
元文二年(1737年)の地蔵立像。
その横に、
文政六年(1823年)念仏講中建立の地蔵塔。
そのお隣には、
葛飾印旛大師の長屋的大師堂に薬師堂。
右折すると、
本殿が見える。
左には、
明治十九年(1886年)出羽三山塔と大正十年(1921年)正徳太子御尊位石祠。
本堂左奥にある南無大師遍照金剛と刻まれた大きな石碑の右には、
十九夜如意輪観音塔が見える。
延宝七年(1679年)・貞享四年(1687年)、
明和三年(1766年)・文化七年(1810年)の4基。
左には、
明治六年(1873年)・十八年(1885年)の子安観音文字塔。
更に後方に、
頭部に如意輪観音像が彫られている文政十年(1827年)の十九夜供羪塔。
東葛印旛大師第29・30・87番札所
大師堂は、
それぞれ独立したものではなく1つ屋根の下に連なっている。
左には、
標石が2基。
手前のものは、
新四國第廿九三十番と刻まれている。
廿九と三十が並列で刻まれていて、
2つ番号があるのは初めて見た気がする。
これは、
明治十三年(1880年)のもの。
側面に、
南無大師遍照金剛と刻まれている。
❓南無大師遍照金剛❓
真言宗のお経で、
南無は私は帰依するを意味しており
南無大師遍照金剛の7文字で、
弘法大師空海に帰依するの意味になる。
遍照金剛は空海の灌頂名であり、
大日如来の別名。
奥の背の高い方は、
文化五年(1808年)の四國八十七番。
側面には、
讃州長尾寺冩と文化五戊辰四月吉日。
さて、
実際の四国八十八所霊場の第29番は国の史跡に指定されている土佐国分寺。
所在地:高知県南国市
創建年:天平勝宝8年(756年)以前
開基:行基
山号:摩尼山
院号:宝蔵院
寺号:土佐国分寺
宗派:真言宗智山派
本尊:千手観音菩薩
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:国を分け 宝を積みて 建つ寺の 末の世迄の 利益残せり
次に、
実際の四国八十八所霊場の第30番は善楽寺。
近くにある安楽寺も30番で並列する形になっていたが、
今では善楽寺が第30番札所で安楽寺は奥の院となったみたいだ。
所在地:高知県高知市
創建年:(伝)大同5年(810年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:百々山
院号:東明院
寺号:善楽寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌:人多く たち集まれる 一ノ宮 昔も今も 栄えぬるかな
そして、
実際の四国八十八所霊場の第87番は長尾寺。
静御前が源義経と別れた後に母の磯禅師と共にこの寺を訪れ、
得度したとの言い伝えがある。
所在地:香川県さぬき市
創建年:(伝)天平11年(739年)
開基:(伝)行基
山号:補陀洛
院号:観音院
寺号:長尾寺
宗派:天台宗
本尊:聖観音菩薩
真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:あしびきの 山鳥の尾の長 尾寺 秋の夜すがら 御名 をとなえよ
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
若白毛地区の第29・30・87番。
第29・30・87番がある長栄寺、
その向かいにある元30番だった八坂神社。
他にも、
雉子打バス停横の庚申塔群や向かいの石塔と石祠。
若白毛地区で見つけた石塔や、
不動堂(若白毛新田集会所)庚申塔なども一緒に。
東葛印旛大師第29・30・87番ポタリングMAP
過去分1はこちら
コメント