鷲野谷庚申塔群1と星神社と香取神社と日枝神社~東葛印旛大師元32番・第38・51番ポタリング

鷲野谷地区香取神社

鷲野谷地区の東葛印旛大師

さて、
今回は鷲野谷地区から。

鷲野谷地区は地図で示すと、
こうなる。

この地区も飛び地があるけど、
そこには札所はない。

鷲野谷地区東葛印旛大師の札所は、
三ヵ所だ。

①善龍寺 14・71番札所
②医王寺 20番・88番札所
③香取神社 38番札所
④日枝神社
※星神社 元32番

泉地区との境の間に入ってくる染井入新田地区には、
第51番日枝神社がある。

東葛印旛大師の区分けでは鷲野谷地区になるみたいなので、
日枝神社もこちらで

というわけで、
先ずは寄り道からスタート。

鷲野谷地区庚申塔1

鷲野谷地区庚申塔

染井古墳(今は染谷家の墓地の中に墳丘が残されていて未調査の為詳細は不明らしい)とは、
道を挟んだ少し高くなった場所に石塔がいくつか並んでいる。

鷲野谷地区庚申塔

右の2つは、
正面に庚申塔と刻まれている。

鷲野谷地区庚申塔

右が明治十三年(1880年)のもので、
左が明治五年(1872年)のもの。

それで、
どちらも三猿がちゃんと刻まれている。

鷲野谷地区庚申塔

左の前3つは、
いずれも馬頭観塔馬頭観世音と刻まれている。

馬頭観世音

仏教における信仰対象である菩薩の一尊。

観音菩薩の変化身(仏が衆生を救うために、姿を変えて現した身)の1つ。

観音としては珍しい忿怒の姿。

右が明治十四年(1881年)のもので、
西 流山 とりで 道/東 なり田 南 鎌ケ谷 道道標にもなっている。

真ん中は、
文化六年(1809年)のもの。

左は、
明治三十九年(1906年)のもの

1番左の後にある石柱には、
辨栄聖者御誕生聖地鷲野谷と刻まれている。

これは山崎辨榮のことで、
安政6年(1859年)にここ鷲野谷で生まれたようだ。

山崎辨榮

日本の浄土宗の僧侶。

明治時代後期から大正時代に浄土宗の社会運動である光明主義運動を行った。

光明学園の創設者。

仏教の教えを広める為、

賛仏歌を作詞作曲し、

手風琴を自分で演奏し全国を行脚した。
大正の法然とか、
近代を代表する宗教思想家と評される。

この方の名前をどこかで見た記憶があったが、
龍泉院山崎辨栄聖者手植の菩提樹というのがあったことを思い出したがそれは龍泉院のところで。

沼南の歴史をあるく19 星神社(元32番)

鷲野谷区星神社

染井古墳庚申塔の間の道を真っすぐ行くと突き当りに、
今は六実の高靇神社に転出した東葛印旛大師元32番札所の星神社がある。

星神社

銅製の鳥居が、
石のものとはまた違う不思議な存在感がある。

鷲野谷区星神社

扁額は、
読みにくいが星神社鷲大神とが併記されている。

鷲野谷区星神社

入口には、
沼南の歴史をあるく19 星神社の白い標柱

星神社の祭神は妙見大明神で、他に鷲神社と兵主神社の祭神も合祀されています。
泉の妙見社と同じく二月二十二日、
二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。

沼南の歴史をあるく19 星神社

ちなみに、
妙見は北斗七星や北極星のこと

鷲野谷区星神社

拝殿の屋根には、
サッポロビールを思い出す星マークが。

鳥ビシャ

ビシャは騎射(流鏑馬)の反対語、
歩射が訛ってできた呼び方。

柏市の泉地区、

鷲野谷地区に古くより受け継がれてきた伝統行事。

鳥ビシャは、

ビシャ神事にしん粉餅と食用の色粉(黄・赤・緑・銀・金)で作った鳥を飾った、

鳥木を供えるのが特徴。

泉・鷲野谷地区と印西市の浦部地区の3ケ所のみで受け継がれている伝統行事で、

300年前には既に行われていたと言われている。

白い標柱の脇にあるのが、
新四國第三十二番標石

鷲野谷区星神社

明治二十六(1893年)年旧九月建立之
と読める。

以前は、
ここに32番があった名残りなんだろう。

境内右手には、
安政四年(1857年)手水鉢4基の石祠石塔

鷲野谷区星神社

右端は、
慶応四年(1868年)石塔しか読めない。

次が山神と刻まれた石祠で、
明治二十七年(1894年)のもの。

次も文政十一年(1828年)石祠だが、
読めない。

左端は、
大正十四年(1925年)稲荷大明神塔

染谷家長屋門

染谷邸長屋門

星神社の左右にある道路は、
以前は土塁だったようだ。

染谷家長屋門

その道を右に進んで行くと、
染谷家住宅がある。

染谷家長屋門

主屋や長屋門をはじめとする8棟の建物からの構成で、
江戸時代後期から明治時代の建物が残っている。

染谷家長屋門

この地域の名主屋敷の暮らしの単位を示す屋敷構成をとどめる重要な文化財として、
平成三十一年(2019年)国登録有形文化財に登録されている。

染谷家長屋門

ここの長屋門は以前に出てきた湯浅家長屋門と共に、
柏市平成29年(2017年)景観重要建造物として3軒の長屋門を認定した際の第1号

染谷邸長屋門

ここにも湯浅家長屋門同様に、
案内の角柱がある。

この長屋門は江戸末期の弘化四年(1847年)に主屋の普請に伴って建築されたものです。近世から近代にかけた地域の歴史や文化を感じきさせる貴重な建造物として、隣接する土塁と共に景観重要建造物の指定がされました。

湯浅家長屋門 説明文
染谷家長屋門

たまたま訪れた際には、
保存修理工事真っ只中で近くまでは行けなかったのが残念。

沼南の歴史をあるく18 鷲野谷香取神社

鷲野谷地区香取神社

道を更に進むと、
道端には馬頭観音塔

鷲野谷地区道端の馬頭観音塔

多分、
享和三年(1803年)と刻まれているような気がする。

更に進むと、
香取神社の西参道。

そこに東葛印旛大師第38番大師道標石があるのだが、
先に脇の道を進んで先ずは香取神社

鷲野谷地区香取神社

本来は赤い手摺のある急な安永三年(1774年)の階段を上って、
鳥居をくぐって入る方が正しいかもしれない。

この鳥居は、
天明八年(1880年)石鳥居

鷲野谷地区香取神社

先の方に小さく拝殿ぽいものが見えるが、
その奥に本殿がある。

階段の手前には、
沼南の歴史をあるく18 香取神社の白い標柱

鷲野谷地区香取神社

現本殿は天保九年(一八三九)の再建であり
白木造の彫刻を多数配した近世後期の建築様式を持っています。

沼南の歴史をあるく18 香取神社
鷲野谷地区香取神社

階段脇にはもう1つ、
新四國三十八番と刻まれた標石もある。

明治二十六(1893年)年旧九月建立之とあるので、
星神社と同じだね。

鷲野谷地区香取神社

本殿は
覆屋に守れた天保九年(1838年)再建の立派なものだ。

その外側は、
ブロック塀の玉垣

いわゆる覆殿という感じではないが、
昭和五十三年(1987年)のものらしい。

こうやって少しでも保護されるのは、
とても良いことだと思う。

鷲野谷地区香取神社

手前の灯篭は、
天保十三年(1842年)のものだから本殿再建後まもなく寄進されたものだね。

鷲野谷地区香取神社

狛犬は、
嘉永7年(1854年)のもの。

鷲野谷地区香取神社

本殿の彫刻、
これがなかなか素晴らしい。

鷲野谷地区香取神社

どうやらこの香取神社
元々この地にあったわけではなさそうだ。

鷲野谷地区香取神社

元々は、
鷲野谷・岩井両村の村境にあったらしい。

鷲野谷地区香取神社

それが、
元文五年(1740年)にここに遷座されたそうだ。

鷲野谷地区香取神社

構築は精巧、
随処に施された彫刻は精密を極める。

鷲野谷地区香取神社

結構時を経たような扁額は2つあって、
片方は香取神宮?でもう片方は読めず。

鷲野谷地区香取神社

手水鉢は、
天保九年(1838年)のもの。

鷲野谷地区香取神社

四周に土塁が残っている境内は、
信仰塔がいろいろ見られる。

鷲野谷地区香取神社

ここにきて今頃だけどようやく気になったのが、
削られて権現しか読めなくなっている石塔

たまに、
こういう削られているものに出くわすことに今更ながら気付いた。

これって多分だけれど、
いわゆる神仏分離で仏教的なものが削られたものなんだろう。

さて、
境内には他にもいろいろ。

例えば、
富士登山記念碑

鷲野谷地区香取神社

例えば、
浅間大菩薩

鷲野谷地区香取神社

例えば、
榛名山三峰山両社宮塔

鷲野谷地区香取神社

例えば、
天照皇大神宮

鷲野谷地区香取神社

更に、
天満宮/大杉大明神/鷲大明神/出羽三山参拝記念碑/大山三峰神社参拝記念碑/金毘羅大権現…。

鷲野谷地区香取神社

東葛印旛大師第38番

東葛印旛大師38番

さて、
東葛印旛大師第三十八番大師堂

東葛印旛大師38番

まだ新しい、
東葛印旛大師38番の標石

東葛印旛大師38番

実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第38番札所は、
ゆるぎ石/亀石/大師一夜建立ならずの華表/亀呼場/大師の爪書き不増不滅の手水鉢/汐の満干手水鉢/根笹/地獄の石といった足摺七不思議のある金剛福寺

所在地:高知県土佐清水市
創建年代:(伝)弘仁13年(822年)
開山:(伝)空海(弘法大師)
山号:蹉跎山
院号:補陀洛院
寺号:金剛福寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:三面千手観音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく そわか
御詠歌:ふだらくや ここはみさきの 船の棹 とるもすつるも 法の蹉跎山

東葛印旛大師第51番(日枝神社)

染井入新田地区日出神社

香取神社参道入口から少し行ったところには、
日枝神社がある。

ここって本当は鷲野谷地区と泉地区との間に入ってくる染井入新田地区になるけど、
鷲野谷地区のすぐ脇にあるのでこちらで

染井入新田地区日出神社

道路の脇の階段を下りたところに、
石鳥居がある。

染井入新田地区日出神社

その先には社殿
とは言っても小さなものだ。

染井入新田地区日出神社

その社殿の左前にあるのが、
第51番の大師堂

そして右横には、
まだ新しい標石

染井入新田地区日出神社

その横の木の下には、
靖國神社と読めるものと不明の石塔も。

染井入新田地区日出神社

左横にも標石があって、
こちらは文政六年(1823年)のもの。

一の文字が、
何となく短いような気もするが…。

側面には、
山王大權現と刻まれている。

❓山王大權現❓

日枝山(比叡山)の山岳信仰と神道、

天台宗が融合した神仏習合の神。

天台宗の鎮守神。

日枝神社だから山王大權現?

社殿左奥には、
箱ブランコがある。

安全に問題があるということで、
今ではあまり見かけないやつだね。

染井入新田地区日出神社

さて、
実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第51番札所石手寺

四国遍路の始まり、
衛門三郎の伝説の石(寺宝玉の石)があるお寺だ。

所在地:愛媛県松山市
創建年:(伝)天平元年(729年)
開基:(伝)行基、聖武天皇(勅願)
山号:熊野山
院号:虚空蔵院
寺号:石手寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽

というわけで…

今回の東葛印旛大師ポタリング88は、
鷲野谷地区第38番染井入新田地区第51番

染井古墳とは道を挟んだ庚申塔群
元32番だった星神社

更に、
第38番のある香取神社と本来は染井入新田地区にある第51番日枝神社も一緒に。

東葛印旛大師元32・第38・51番ポタリングMAP

過去分1はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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