鷲野谷庚申塔群2と十九夜塔と医王寺と薬師堂と善龍寺~東葛印旛大師第20・88・14・71番ポタリング

鷲野谷庚申塔群

沼南の歴史をあるく15 鷲野谷地区庚申塔群2

鷲野谷庚申塔群

鷲野谷地区の庚申塔と言えば、
前回に続いてもう1つある。

ただ厳密には、
地図上だと岩井地区になるのかもしれない。

ちょうど庚申塔群のある道が、
2つの地区の境になっていて岩井地区側にある感じなのだ。

鷲野谷庚申塔群

だけどここにも沼南の歴史をあるく15の白い標柱があって、
鷲野谷庚申塔群と書かれているので鷲野谷地区で良いのだろう。

いずれにしても、
今回は幸田原というバス停近くのこの庚申塔群からスタート。

今回の東葛印旛大師第20・88・14・71番とは少し離れた場所になるが、
同じ鷲野谷地区だからね。

それでここには17基の庚申塔と、
1基の道標が並んでいる。

17基の内訳は、
青面金剛像塔が4基で文字青面金剛塔が3基で文字庚申塔が10基。

鷲野谷庚申塔群

1番左にあるのが道標で、
成田山と刻まれているのは読める。

その右のものは異体字っていうやつなのかな?
ちょっと庚申塔とは読めない。

鷲野谷庚申塔群

三猿がちゃんといる、
文字庚申塔2基

鷲野谷庚申塔群

三猿のない文字青面金剛等と、
文字庚申塔

鷲野谷庚申塔群

更に、
文字庚申塔が4基続く。

これも、
三猿はなし。

鷲野谷庚申塔群

そして、
明和二年(1765年)六臂合掌型の青面金剛像

次が奉供養庚申講中為二世安楽と刻まれた、
三猿もちゃんといる寛延2年(1749年)の庚申塔

鷲野谷庚申塔群
明和二年(1765年)六臂合掌型の青面金剛像
鷲野谷庚申塔群
明和二年(1765年)六臂合掌型の青面金剛像

続いて、
享保十一年(1726年)と正徳四年(1714年)の六臂合掌型の青面金剛像

鷲野谷庚申塔群
鷲野谷庚申塔群
享保十一年(1726年)六臂合掌型の青面金剛像
鷲野谷庚申塔群
享保十一年(1726年)六臂合掌型の青面金剛像
鷲野谷庚申塔群
正徳四年(1714年)六臂合掌型の青面金剛像
鷲野谷庚申塔群
正徳四年(1714年)六臂合掌型の青面金剛像

宝暦八年(1758年)、
文字青面金剛塔

鷲野谷庚申塔群

三猿が、
クローズアップされているのは面白い。

鷲野谷庚申塔群

三猿のいる文字青面金剛塔と、
享保十六年(1731年)のショケラ持ちの青面金剛塔

鷲野谷庚申塔群
鷲野谷庚申塔群
享保十六年(1731年)のショケラ持ちの青面金剛塔
鷲野谷庚申塔群
享保十六年(1731年)のショケラ持ちの青面金剛塔
鷲野谷庚申塔群
享保十六年(1731年)のショケラ持ちの青面金剛塔

県道282号線を挟んで、
この庚申塔群とは別の庚申塔があった。

鷲野谷庚申塔

これは、
文政十二年(1829年)の文字庚申塔

古いわりに、
刻まれた文字の力強さがスゴイ。

東光山医王寺薬師堂近くの十九夜塔

鷲野谷地区十九夜塔

東葛印旛大師第88番がある薬師堂近くには、
5体の十九夜塔が並んでいる。

鷲野谷地区十九夜塔

1番右は、
天保二年(1831年)十九夜塔

鷲野谷地区十九夜塔

十九夜の文字の上に、
如意輪観音

鷲野谷地区十九夜塔

右に十九夜念佛…と彫られた、
延宝六年(1678年)如意輪観音ではないもの(聖観音?)。

鷲野谷地区十九夜塔

上に十九夜と刻まれた、
天明五年(1785年)如意輪観音塔

鷲野谷地区十九夜塔

上に念仏供養とある、
寛文十三年(1673年)如意輪観音塔

鷲野谷地区十九夜塔

文化八年(1811年)
子安観音塔

鷲野谷地区十九夜塔

東光山医王寺薬師堂(東葛印旛大師第88番)

医王寺薬師堂

東光山医王寺本堂の右手の高台にあるのが、
薬師堂だ。

薬師堂・薬師如来

薬師堂は、
薬師如来を本尊とする仏堂。

薬師如来は、
大乗仏教において、
病気平癒等の現世利益に効験のある仏として信仰されている。

こちらにも、
参道がある。

医王寺薬師堂

参道に入る左側には、
明治四十二年(1909年)道標がある。

上には指差しの手、
真ん中に大師道

右に七十番イヅミ
左に七十一番善龍寺

医王寺薬師堂

その奥には、
准四國八十八番の標石

医王寺薬師堂

進んで行くと、
右には随分大きな昭和五十四年(1979年)の顕彰碑がある。

これは、
明治15年8月にこの薬師堂に3週間籠もって断食称名を行った山崎辨榮顕彰碑

医王寺薬師堂


それでこの薬師堂、
本尊の薬師如来坐像柏市の指定文化財に指定されている。

柏市指定文化財(彫刻)昭和50年12月4日指定

🔶薬師如来坐像

医王寺は、
室町時代の寛正2年(1461)、
芝の大本山増上寺(港区)三世音誉聖観上人の門人である経誉愚底上人(信州洗馬の人:信州塩尻市)によって建立されました。
上人が、
元は手賀沼のほとりにあり荒廃した天台寺院跡と薬師堂を、
古くから薬師霊応の地とされていたここ鷲野谷の地に移し、
浄土宗の寺として再興したのが始まりです。
薬師堂本尊の薬師如来坐像は、
像高115cmの豊躯な威厳のある風貌の木彫座像で、
大きな台座に結嘉跏趺座し、
輪光の光背を付け、
脇侍に日光、
月光菩薩の両菩薩をしたがえた三尊形式として安置されています。
昭和48年、
本尊を解体修理した際、
胎内から「長禄二伊戌寅(1458)十一月吉日……大仏師春慶」という墨書が発見されました。
「春慶」は、
鎌倉仏師の巨匠として知られる運慶の孫弟子に当たり、
数々の秀作を生んだ名工とされます。
本像は秘仏(非公開)で『薬師如来本願功徳経』に説かれる「十二大願」になぞらえて十二ごとの寅年に開帳法要が盛大に執り行われています。
なお、
現在の堂宇は延享元(1744)年7月に修理されたことが棟札によってわかり、
屋根は昭和49年に鉄板で覆われました。
平成27年3月31日
柏市教育委員会

薬師如来坐像説明板

ちょうど12年ぶりの御開帳の時だったのだが、
訪れた少し前に既に終わってしまっていた。

だから幟が沢山、
あちこちにあったわけだ。

見られなかったのは残念だが、
まあ生きていれば12年後に見れば良い。

医王寺薬師堂

薬師堂の脇を進んで行くと、
石祠がある。

医王寺薬師堂

更に先には、
開創・経誉愚底上人の宝暦六年(1756年)の墓塔がお堂内に祀られている。

医王寺薬師堂

墓前には奉納されたが沢山供えられているし、
屋根下にも錐がある。

これは耳に病のある人が寺から授けられた錐を用いて祈願することで、
病を治して頂くという信仰が伝わっていたことに起因しているらしい。

病が治ったあかつきには、
新たな錐を1本添えて2本の錐を御礼奉納していたようだ。

医王寺薬師堂

それで、
第88番の大師堂

医王寺薬師堂

どうやら、
薬師堂そのものをそれに充てているみたいだ。

医王寺薬師堂

薬師堂の脇に、
お堂がある。

医王寺薬師堂

これかな?と思ったが、
違うみたいだ。

実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第88番札所は、
結願所である大窪寺

所在地:香川県さぬき市多和兼割
創建年:(伝)養老年間(717年 – 724年)
開基:(伝)行基
山号:医王山
院号:遍照光院
寺号:大窪寺
宗派:真言宗単立
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:南無薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は 大窪の寺

沼南の歴史をあるく20 東光山医王寺(東葛印旛大師第20番)

鷲野谷医王寺

薬師堂から石段を下りると医王寺境内に行けるが、
やはりここは参道から。

医王寺薬師堂

入口には、
沼南の歴史をあるく白い標柱だろう。

鷲野谷医王寺

正面部分は、
何故か醫王寺と書かれた板が貼られてしまっている。

東光山医王寺安楽院という浄土宗の寺院で、
寛正二年(一四六一)経誉上人により開創されました。
本堂右上の薬師堂には、
春慶作の薬師如来が安置されています。

沼南の歴史をあるく20 医王寺
鷲野谷医王寺

この医王寺の本尊は、
阿弥陀如来

鷲野谷医王寺

山門前の両脇には、
六地蔵

鷲野谷医王寺

左右に、
三体づつ並んでいる。

鷲野谷医王寺

赤い頭巾はかぶっていないが、
涎掛けは皆着けている。

鷲野谷医王寺

境内左手には、
無縁仏と石碑。

鷲野谷医王寺

右手には、
嘉永4年(1851年)寶篋印塔

鷲野谷医王寺

その左には、
文政五年(1822年)徳本名号塔

江戸時代後期に日本各地に足を運び、
念仏を伝え歩いたことで知られる徳本上人没後の建立。

鷲野谷医王寺

徳本上人の独特の書体で、
南無阿弥陀佛

そして、
丸に十の字の徳本の花押

鷲野谷医王寺

東葛印旛大師堂第20番は、
境内本堂近くの右側にある。

東葛印旛大師第20番

2つ、
お堂が並んでいる。

東葛印旛大師第20番

そのうちの、
左側。

東葛印旛大師第20番

標石は、
まだ新しい。

東葛印旛大師第20番

実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第20番札所は、
一に焼山二にお鶴三に太龍と称される阿波の難所の一つ鶴林寺

所在地:徳島県勝浦郡勝浦町
創建年:(伝)延暦17年(798年)
開基:桓武天皇(勅願)、空海(弘法大師)
山号:霊鷲山
院号:宝珠院
寺号:鶴林寺
宗派:高野山真言宗
本尊:地蔵菩薩
真言:おん かかかびさんまえい そわか
御詠歌:しげりつる 鶴の林を しるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈

善龍寺(東葛印旛大師第14・71番)

鷲野谷地区善龍寺

さて、
鷲野谷地区最後の札所は善龍寺

医王寺からは、
さほど遠くない高台にある。

切り返しの坂を上がり、
右に折れると参道がある。

鷲野谷地区善龍寺

そこに、
第71番の標石がある。

隣に石塔があるが、
これは寛政八年(1796年)光明真言供養塔

鷲野谷地区善龍寺

今回見忘れたのか?見つけられなかったのか?はたまた埋もれてしまったのか?は「わからないが、
以前訪れた際の写真を見ていたらここで撮ったはずの道標の写真があった。

薬師堂の参道のところにあったタイプで、
真ん中には大師道

右には八十八番医王寺
左には七十三番岩井とある。

上には、
左右指差し

明治四十二年(1909年)だから、
同じ時に置かれたのだろう。

たまたま近くで2基見つけたが、
今でも全部これがあったら結構楽しいだろうに実際には殆ど見つけられない。

見つけられないというより、
きっともう存在していないんだろうけど。

それって、
結構残念な感じだ。

鷲野谷地区善龍寺

ちなみに71番の新しい標石西国四国八十八ヶ所巡拝記念碑と共に敷地内にあるが、
大師堂は敷地内にどこにも見当たらない。

鷲野谷地区善龍寺

本堂がそれにあたるのだろうと思ったら、
光月山と書かれた扁額の下に御詠歌額らしきものがあるので多分そうだ。

実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第71番札所は、
日本三大霊場の一つに数えられたこともある弥谷山にある弥谷寺

所在地:香川県三豊市三野町
創建年:(伝)奈良時代
開基:(伝)行基、聖武天皇(勅願)
山号:剣五山
院号:千手院
寺号:弥谷寺
宗派:真言宗善通寺派
本尊:千手観音菩薩
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:悪人と 行き連れなむも 弥谷寺 ただかりそめも よき友ぞよき

鷲野谷地区善龍寺

第14番の方は、
平成二十年(2008年)の標石と共に大師堂がある。

鷲野谷地区善龍寺

手水鉢の奥に見える石灯籠は、
天明八年(1788年)のもの。

鷲野谷地区善龍寺
2020年撮影のもの

標石の横には、
明治二十八年(1895年)光明真言供養塔

鷲野谷地区善龍寺

実際の四国八十八ヵ所霊場に於ける第14番札所は、
四国霊場唯一の弥勒菩薩本尊の常楽寺

所在地:徳島県徳島市国府町延命
創建年:(伝)弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:盛寿山
院号:延命院
寺号:常楽寺
宗派:高野山真言宗
本尊:弥勒菩薩
真言:おん まいたれいや そわか
御詠歌:常楽の 岸にはいつか 到らまし 弘誓の船に 乗りおくれずば

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
鷲野谷地区の最後。

庚申塔群2十九夜塔
医王寺薬師堂善龍寺東葛印旛大師第20・88・14・71番札所

実は、
全部が全部同じ日のポタリングではない。

あとから忘れてた!で、
再度言った場所もある。

まあ地区毎のアップだから、
それはそれで。

東葛印旛大師第20・88・14・71番ポタリングMAP

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