泉おせし様板碑と泉妙見社と二十三夜堂の東葛印旛大師第31番・70番ポタリング

東葛印旛大師第31・70番

さて、
東葛印旛大師88ポタリング

今回からは、
泉地区

地図だと、
これがそう。

ここには、
3つの札所と元札所が2つがある。

泉地区
 二十三夜堂 31番・70番札所
 ②龍泉院 33番札所(・元16番)
 ③伊津美神社 28番札所
 ※妙見社 元16番
 ※不動堂 元31番

今回はその中から、
二十三夜堂 31番・70番札所妙見社 元16番を。

沼南の歴史をあるく17 おせし様板碑

おせし様板碑

前々回の最後に出てきた日枝神社は、
鷲野谷地区泉地区に入り込んでいる染井入新田地区だったから泉地区日枝神社からはすぐだ。

今回は31番・70番札所二十三夜堂だけど。
その近くにあるスポットの1つが柏市指定文化財になっているおせし様板碑

ここは二十三夜堂と共に、
沼南の歴史をあるくの1つだ。

おせし様板碑は、
天文4年(1535年)の庚申待供養碑

おせし様板碑

手賀西小学校の門近くの三叉路、
右手の小高くなっているところにそれはある。

おせし様板碑

説明板があるので、
どういうものかが良くわかるのでありがたい。

柏指定文化財(考古資料)昭和50年12月4日指定

🔶おせし様板碑(いたび)

板碑は、鎌倉時代から室町・戦国時代にかけて死者の追善または逆修(生前)供養の際に造立された卒塔婆です。
形状は、
上部を三角形にして二条線を刻み、
その下に梵字を刻んだものです。
石材は、
緑泥片岩を使用した武蔵型板碑です。
碑面には、
主尊である釈迦如来を表す梵字(バク)が蓮座に安置され、
上部は天蓋と瓔珞で飾られ、
蓮座の下には香炉・燭台・花瓶の三具足を備えた机が置かれています。
この板碑は、
銘文から、
天正4年(1535)、
「奉庚申待供養」のため、
二郎四郎・源五郎・平七・左衛門四郎・小五郎などによって造立されたことがわかります。
また、
これは、
板碑本来の目的である卒塔婆の意味が薄れ、
庚申待ちという民間信仰の記念碑に変化したことを示したものです。
また、
この近くにある三夜堂(二十三夜堂の略)では、
女性の行事とされる「月待」の行事が例年8月23日に行われていましたが、
かつては流山の諏訪神社の夏祭りと並んで「お諏訪帰りは泉の三夜」とうたわれるほど盛大に行われていたようです。

現在もこの板碑は、
風邪を治すご利益があるといわれ、おせし様(勢至菩薩)として親しまれています。

平成21年3月31日 柏市教育委員会

おせし様板碑 説明板

フムフム、
なるほど面白い。

おせし様板碑

さて、
石段を上がり木の根を跨ぐとそこに板碑がある。

おせし様板碑

実際の板碑は、
藁束が被せられていた。

ところで、
ナゼ藁束が被せられているのか?

庚申塔に注連縄を掛けたものを以前何かで見た気がするが、
飾りみたいなものなんだろうか?

ちょっと、
そのあたりのことはわからない。

おせし様板碑

なので、
実際の彫られた文字などは少ししか見えなかったがこれも説明板でよくわかる。

おせし様板碑

それにしても、
天正4年(1535)とは500年近く前なわけで。

そんなものが、
野ざらしになっているというのもある意味スゴイ。

沼南の歴史をあるく16 泉妙見社

泉妙見社

おせし様板碑とは、
二十三夜堂を挟んだ逆側に泉妙見社がある。

泉妙見社

ここも、
沼南の歴史をあるくの1つで例の白い標柱がある。

泉妙見社

この場所は「中城」という小字で、
戦国時代に館があったところと言われています。
御神体は妙見大権現で、
二月二十二日、
二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。

沼南の歴史をあるく16 泉妙見社

この標柱の手前の奥の方には、
稲荷社がある。

泉妙見社

左手には石段があって、
脇には手水鉢がある。

泉妙見社

その先には、
拝殿らしきものがある。

泉妙見社

扁額らしきものがあって、
昭和十二年(1937年)と読める。

泉妙見社

それ以外に何と書いてあるかは、
よくわからない。

泉妙見社

この拝殿らしきものの裏にまわると、
本殿らしきものがある。

元々この妙見社は、
永正九年(1512年)建立らしい。

泉妙見社

明治四十三年(1910年)に、
同じ泉地区鳥見神社(伊津美神社)合祀されたらしい。

その後、
昭和九年(1934年)にまたこちらに戻ってきたという話。

右奥にある、
妙見社遺趾と彫られた石碑はそういうことなかな?

泉妙見社

そのお隣には、
享保15年(1730年)の庚申塔がある。

泉妙見社

何やら文字が沢山刻まれているが、
真ん中上には庚申代石

右から、
享保十五庚戌天十一月日

そして、
妙見神木之松者邑中信????

同行五十人
講金買留奉寄附?耒(?)住僧不可

吉祥院住僧?長代

?はよくわからない上に、
結局全体でどんな意味なのかもわからない。

沼南の歴史をあるく17 二十三夜堂(通称三夜堂)

沼南の歴史をあるく17

さて、
東葛印旛大師第31番・70番のある二十三夜堂(通称三夜堂)

幕末の建造のようで、
昭和三十年代に鉄板葺きに改装されたらしい。

沼南の歴史をあるく17

ここはおせし様板碑と共に、
沼南の歴史をあるくの1つでもある。

沼南の歴史をあるく17

ここは古い歴史をもつ吉祥院の寺域ですが、
建物はこの「三夜堂」だけになってしまいました。
近くのおせし様板碑は、
天文四年(一五三五)この地の有力者が造立した「庚申供養塔」の碑です。

沼南の歴史をあるく17 三夜堂・おせし様板碑

手賀西小学校のすぐ横にあるが、
どうやら手賀西小学校庭の南側約半分はこの吉祥院二十三夜堂の所有で貸与している形となっている。

明治の頃は、
かつてあった本堂を改修してこの小学校の前身泉小学校の校舎として使っていたみたいだ。

沼南の歴史をあるく17

二十三夜堂の敷地内には、
二十三夜塔と刻まれた小石塔がある。

昔々、
泉区字三夜の田んぼから出土したものらしい。

沼南の歴史をあるく17

この日、
二十三夜堂のところでカマキリを発見。

東葛印旛大師第31番・70番

東葛印旛大師第31番・70番

さてさて、
この二十三夜堂東葛印旛大師第31番・70番の大師堂がある。

第31番の方は、
1度近くにある不動堂に移されたが令和二年(2020年)にまたこちらに戻っている

なので、
今では2つの大師堂が並んでいる

東葛印旛大師第31・70番

近くにある標石は、
第70番のもので新四國七十番と刻まれている。

側面には、
讃州本山寺/文化五戊辰四月泉村吉祥院とあるので文化五年(1808年)のものだ。

実際の四国八十八所霊場での第70番は、
八十八カ所の中で唯一馬頭観音を本尊としている本山寺

東葛印旛大師第31・70番

所在地:香川県三豊市
創建年:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:七宝山
院号:持宝院
寺号:本山寺
宗派:高野山真言宗
本尊:馬頭観世音菩薩
真言:おん あみりと どはんば うん はった そわか
御詠歌:本山に 誰か植江ける 花なれや 春こそたをれ たむけにぞなる

そして実際の四国八十八所霊場での第31番は、
八十八カ所の中で唯一文殊菩薩を本尊とする竹林寺

文殊菩薩

大乗仏教の菩薩で、
智慧を司っている仏と言われている。

三人寄れば文殊の知恵、
はこの文殊菩薩からきているんだろうね。

東葛印旛大師第31・70番

所在地:高知県高知市五台山
創建年:(伝)724年
開基:(伝)行基
山号:五台山
院号:金色院
寺号:竹林寺
宗派:真言宗智山派
本尊:文珠菩薩
真言:おん あらはしゃのう
御詠歌:南無文殊 三世の仏の 母ときく 我も子なれば 乳こそほしけれ

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリンングは、
泉地区にある二十三夜堂にある東葛印旛大師第31番・70番

それ以外にも、
すぐ近くにある沼南の歴史をあるく17でもあるおせし様板碑

そして、
同じく沼南の歴史をあるく16でもある泉妙見社でした。

東葛印旛大師第31・70番ポタリングMAP

過去分1はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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