杉村楚人冠句碑の先には、
杉村楚人冠記念館がある。
杉村楚人冠記念館とは?
楚人冠がこの地の移り住んだのは関東大震災後1924年のことだが、
手賀沼の鴨猟を取材してその風景に魅せられ別荘を建てたのはもう少し前の1912年のことだ。
その旧杉村楚人冠邸の母屋をそのまま利用したのが、
『杉村楚人冠記念館』。
この母屋は建築界の黒羊を自称した建築家である下田菊太郎の設計で建てられた平屋建ての部分と、
後年増築した二階建ての書斎の部分から成っている。
また平屋建ての部分は屋根が低すぎて掛軸がかけられないなどの問題があったので、
改築を何度となく行ったみたいだ。
ハケの道を外れて杉村楚人冠句碑のある高台の横の道を進むと、
この記念館の庭の方の入口が見える。
そこから庭を通って、
上って行くと記念館になっている母屋がある。
館内では、
楚人冠が残した多数の書籍や書簡を中心に展示を開催している。
杉村楚人冠記念館の庭
下の入口から入ると、
芭蕉が植えられている。
進むと、
道が二手に分かれる。
左にあるのは、
別棟の浴場があったところ。
戦後取り壊されて、
浴槽に入れる水を貯めてぬるめた貯水槽のみが残っている。
この池では鮒や鯉を飼っていて、
一時期ガチョウを放し飼いにしていたこともある。
上の池の水は、
下の池に流されたり浴場にもひいて使われていた。
金魚とメダカを飼っていて、
その金魚をカワセミが狙ってきていたようだ。
再び、
二手に分かれる。
上に行く階段の脇には、
湧き水(走り井)。
まっすぐ行くと、
左手には『澤の家』がある。
この澤の家は、
園内で最も古い建築物。
一家で転居した後は、
楚人冠の母親が住んでいた。
家の中にはハロー(石砕機)や田舟などが、
展示されている。
更に、
押し網なども。
この建物は、
殆ど崩壊していたのを復元している途中。
今度は、
湧き水(走り井)横の階段を上って行く。
昔、
ここには土産物に作られた埴輪が並んでいたそうだ。
左手には、
入口。
右手には、
記念館。
記念館は元々母屋だったところだから、
記念館の入口は母屋の玄関だ。
蔵も、
ある。
楚人冠が好んで、
各地から取り寄せた椿もある。
母屋の玄関を通り越して、
先に向かう。
サロンの南側の部屋は、
現在は窓のあるサンルームとなっている。
落成当初は、
ベランダだった。
母屋の先には、
茶室がある。
ここは、
『清接庵』と名付けられた。
通常は中に入れないが、
茶室を利用したイベント時には中に入ることができる。
このように庭園を歩くだけも、
なかなか良いところなのだ。
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