我孫子市 岡発戸地区
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
第1回目は、
我孫子市岡発戸地区から。
岡発戸地区はこんなところ
ちなみに、
岡発戸はおかほっとと読む。
発戸は、
アイヌ語のフット(2つの丘陵の間に小川が流れ込んでいるような所)が語源という。
それで、
岡発戸はその発戸の中でも丘陵部にあったので岡発戸となったという説があるようだ。
まあ、
こういう説は正解はわからないものだけど。
どの辺りかと言えば、
杉村楚人冠が創立に尽力した我孫子ゴルフ倶楽部がある辺りがそうだ。
地図上では、
岡発戸地区の南に岡発戸新田地区がある。
それ以外にも、
手賀沼周辺には〇〇新田という地区が結構ある。
これは、
干拓でできた土地だ。
つまり、
かつて手賀沼だったところだ。
そのかつての手賀沼沿いの道がハケの道と呼ばれるもので、
今回訪れた滝前不動堂もそのハケの道沿いにある。
岡発戸地区MAP
それで岡発戸地区を地図で確認すると、
こんな感じになる。
岡発戸 ハケの道沿いから始まった88ポタリング
ここは、
88ポタリングを始めるキッカケになった場所。
2010年の夏にハケの道を自転車で走っている時、
ここをたまたま見つけたのだ。
それで新四国大師道の指差し道標に興味を惹かれ、
調べてみたのが88ポタリングの始まりだった。
そんなわけで、
改めて巡る新四国相馬霊場八十八ヶ所のスタートはやはりここからにしたい。
岡発戸 滝前不動堂
ハケの道沿い左手に、
突然こんな景色が現れる。
ここが、
滝前不動堂の下の広場みたいなところ。
岡発戸 滝前不動堂の概要
滝前不動堂、
その創建年代は不詳。
ただ白泉寺開山の竹巌宗嫩和尚が慶長~元和年代に不動堂を建立、
後に滝前山宝積寺と称していたという。
かつては平高望王(平将門公祖父)が寛平年間(889-898)に空海作の不動尊像を祀った地で、
その不動尊は中峠不動尊の胎内に納められているという。
そういう意味でここはほんの少しだけ平将門公スポットでもある、
といえなくもないがそれはちょっとこじつけ過ぎか。
新四國大師道指差し道標
ハケの道脇の最初の数段の石段を上がると、
左手には88ポタリングのキッカケとなった大正三年(1914年)の新四國大師道指差し道標がある。
この指差し道標は以前から他でも時々見掛けることがあって、
気にはなっていた。
新四国三十六番
次の石段の右脇には、
新四国三十六番の標石。
これって、
やはり四国霊場八十八ヶ所に関係しているものなんだろうか?とか。
これは三十六番だけど、
一番から八十ハ番までどこかにあるんだろうか?とか。
それが妙に気になって、
調べたのが2010年の88ポタリングの始まりということだ。
側面には、
安永五年(1776年)正月吉祥日/南無大師遍照金剛/願主観覚光音禅師の名が刻まれている。
観覚光音禅師は、
新四国相馬霊場を開設した方ということは前回出てきた。
不動明王真言碑
この標石の右には、
昭和六十二年(1987年)の不動明王真言碑。
不動明王の真言は、
長さの異なる3種類がある。
これは、
その中で2番目の長さになる中咒・慈救咒。
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン
namaḥ samanta-vajrāṇāṃ caṇḍa-mahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ
倶利伽羅竜王像
その先には年紀なしの、
不動明王像ではなく不動明王が右手に持つ剣である倶利伽羅竜王像。
湧水の滝
その横には、
竜頭から流れる湧水の滝。
この時は以前よりも水が多く流れていたような気がするが、
昔はもっと大量の水が流れ落ちていたようだ。
もっと勢い良くこの龍の口から水が流れ出ていたら、
なかなか素敵な景色なのだがそうなっていないのは少し残念な感じ。
松尾芭蕉の句碑
更に先には、
慶応3年(1867年)取手の商人有志が建てた松尾芭蕉の句碑。
清滝や 波にちりこむ 青松葉
この句は、
別に芭蕉がここを訪れて詠んだ句でも何でもない。
清滝は、
京都嵐山の保津川の支流清滝川のこと。
死の三日前、
清瀧や浪にちりなき夏の月を練り直して生まれたのがこの句だった。
狛犬
石段を上がると、
先ず文久元年(1861年)の狛犬が一対。
何となく笑っているようにも見えて、
失礼ながらなかなか可愛らしい。
不動堂
その先には、
不動堂。
彫刻が、
結構素晴らしい。
濡れ縁に置かれているのは、
新しいものに差し換えられた以前のものなのかもしれない。
不動明王像
不動堂前には、
寛政十一年(1799年)の不動明王像。
いまいち迫力がないけど、
素朴な感じでこれはこれで悪くない。
ここに瀧前山宝積寺/維時寛政十一己未(一七九九)正月吉日、
と刻まれている。
境内左手
境内左手は、
ベンチや丸太の椅子があってまるで小さな公園みたいになっている。
以前はこんなではなかったけど、
滝前不動新春竹宵を毎年年末年始に開催するのに合わせて設置していったのかもしれない。
その先には、
木製の鳥居がある。
鳥居をくぐった左手には、
新四國道標。
浮彫の片方だけの指差し、
八十八ヶ所道とある。
稲荷社
石段を上がっていくと、
右手竹林の中にも石段がある。
そこには、
稲荷神社の石祠と木祠とたくさんの狐像。
石祠には、
日本三大稲荷の1つに数えられ商売繁盛のご利益で全国的に知られる豊川稲荷神社と刻まれている。
ちなみに日本三大稲荷の1つは伏見稲荷大社が絶対だけれど、
他はあれこれあって絶対はないらしい。
新四國大師道道標
再び元の石段に戻って更に上っていくと、
またもや大正三年(1914年)の新四國大師道道標。
右の指差しの下には三十六とあるので、
この滝前不動のことを指している。
左の指差しは七十四ろあるから、
下ヶ戸の西音寺74番を指しているわけだね。
不動堂の裏の高台を周ってまた下に降りていくと、
もう1基の道標。
上に左右指差し、
正面には八十八ヶ所道。
藤棚
再び不動堂の前に戻るところには、
志賀直哉の小説矢島柳堂に出てくる藤棚がある。
と言っても、
今の藤棚は当時のものではなく復活させたものだ。
この藤の花が咲く頃にここを訪れたことはないので、
今度訪ねてみようと思う。
36番
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の大師堂は不動堂の向かって左脇にある。
切妻造・向拝付・瓦葺、
彫刻にはうっすらと青と赤色が残っている。
御詠歌額の御詠歌は彫ったものではないが、
しっかりと読める。
わずかなる いずみにすめる しょうりゅうは ぶっぽうしゅごの ちかいとぞきく
僅かなる 泉に住める 青龍は 仏法守護の 誓いとぞ聞く
堂内に安置されている大師像には、
文化四年(1807年)の刻銘。
というわけで…
新たに始まったシリーズ、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングの第1回目は我孫子市岡発戸地区から。
今回は、
2010年に新四国相馬霊場八十八ヶ所ポタリングのキッカケとなった場所。
石仏などはあまりないけれど、
道標がいくつもあってそれはそれで楽しめる。
かつては手賀沼沿いにあったハケの道沿いにある、
竹林が美しい滝前不動堂 36番でした。
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