東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回
さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
ここまでは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所6・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
・柳戸地区
札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
札所2・掛所1・元札所1
・若白毛地区
札所3・元札所1
・大井地区
札所2・元札所1
・五條谷地区
札所2・元札所1
・金山地区
札所2
・藤ヶ谷地区
札所3・番外1
その旧沼南地域17地区のうち、
13地区までは進んだ。
まわった札所は40・元札所8・掛所7・番外1、
となる。
それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の14地区目になる藤ヶ谷新田地区。
ここは、
前回の藤ケ谷地区のお隣。
地図だと、
こんな感じ。
この藤ヶ谷新田地区には、
東葛印旛大師の札所が1つだけある。
藤ヶ谷新田地区
①熊野神社 47番札所
それで先ずは、
いつもの通り寄り道から。
みよしろ大仏
このみよしろ大仏は、
寛政2年(1790年)に初代荒木幸右衛門を偲び荒木傳右衛門が建立したもの。
藤ヶ谷新田は、
近世中期に塚崎村・高柳村・金山村など周囲の村人が入作。
山林原野を開墾して、
畑地の新田として成立した村だそうだ。
その藤ケ谷新田の俗称が、
みよしろ。
塚崎神明社のうしろにあたる、
と言う意味で宮後ということらしい。
沼南の歴史をあるく33 熊野・天神両社神社
熊野・天神両社は、
沼南の歴史をあるくの33だ。
ここでは、
沼南町になっている。
40台から町が付くのかと思っていたら、
33も町が付いている。
32の藤ヶ谷十三塚は町が付かないので、
この33からなのかもしれない。
藤ヶ谷新田の鎮守である熊野・天神両社は、
沼南の歴史をあるく33 熊野・天神両社神社
初め熊野神社が江戸時代中期の享保年間に紀伊の熊野神社から分座され、
のちに天神社が合祀されたといわれています。
現在の本殿は昭和四年の再建でこの時拝殿も修理されています。
平成2年(1990年)の明神鳥居を抜けると、
参道右側にいろいろと並んでいる。
右から三基の石祠は、
不明。
正徳二年(1712年)の駒形文字庚申塔と、
明治2年(1869年)の文字千手観音塔。
不明の石祠が、
2基。
文化二年(1805年)の馬頭観音塔と、
元禄十二年(1699年)の十九夜念仏塔。
享和二年(1802年)の文字青面金剛塔と、
不明の石塔。
明治22年(1889年)の山神宮、
享和三年(1803年)の三社大権現塔。
木祠に祀られているのは、
子安観音塔。
文化八年(1811年)の疱瘡神石祠と、
金毘羅大権現石祠。
上の写真の左奥に写っているのは、
常夜燈の下の部分っぽい感じだけど。
参道左にも、
いくつか。
左から三王山大権現、
神明宮に荒神宮の石祠。
木祠に祀られているのは、
破損している文化元年(1804年)の普門品一万巻供養塔。
文化十年(1813年)、
手水鉢。
拝殿。
本殿。
東葛印旛大師第47番
東葛印旛大師第47番は、
熊野・天神両社の左にある広場の奥にある。
並んで、
光明真言塔や結願供養塔。
出羽三山塔や、
富士山登山記念碑などなど。
それで実際の四国八十八所霊場第47番は、
八坂寺。
所在地:愛媛県松山市浄瑠璃町八坂
創建年:(伝)大宝元年(701年)
開基:(伝)役行者、文武天皇(勅願)
山号:熊野山
院号:妙味院
寺号:八坂寺
宗派:真言宗醍醐派
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌:花を見て 歌詠む人は 八坂寺 三仏 じょうの 縁とこそきけ
この広場の左の塀のところには、
明治と昭和の馬頭観世音塔が集まっていた。
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
藤ヶ谷新田地区の第47番。
その第47番があるのが、
沼南の歴史をあるく33 熊野・天神両社神社。
そして寄り道した、
みよしろ大仏でした。
東葛印旛大師第47番ポタリングMAP
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