藤ヶ谷香取神社と持法院東葛印旛大師第8・26・46番+番外鯖大師ポタリング

藤ヶ谷地区持法院山門

東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回

さて、
東葛印旛大師88ポタリング

ここまでは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。

・手賀地区
  札所6・掛所2
・布瀬地区
  札所4・元札所1
箕輪地区
  札所4・元札所1
・片山地区
  札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
  札所6・元札所1
・泉地区
  札所4・掛所3
柳戸地区
  札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
  札所2・掛所1・元札所1
若白毛地区
  札所3・元札所1
大井地区
  札所2・元札所1
五條谷地区
  札所2・元札所1
金山地区
  札所2

その旧沼南地域17地区のうち、
12地区までは進んだ。

まわった札所は37・元札所8・掛所7
となる。

それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の13地区目になる藤ヶ谷地区

ここは、
前回の金山地区の下あたり。

地図だと、
こんな感じ。

この藤ヶ谷地には、
東葛印旛大師の札所が4つ番外が1つある。

藤ヶ谷地区
  ①薬師堂 17番札所
  ②持法院 8・26・46番札所
  ☆番外 鯖大師

沼南の歴史をあるく31 香取神社

藤ケ谷地区香取神社

あちこちにある香取神社だけれど、
藤ケ谷地区にも香取神社がある。

国道16号線沿い
ちょうど藤ケ谷交差点のところだ。

入口は、
3ヵ所ある。

国道16号沿いに二ヵ所
そのうち一カ所には石鳥居

藤ケ谷地区香取神社

階段脇に、
沼南の歴史をあるく31 香取神社 の白い標柱

藤ケ谷地区香取神社

藤ヶ谷地区の鎮守で、
現本殿は安政八年(一八三五)の再建です。
ここは字名が「城之堀」、
隣が「馬場」であり、
中世の藤ヶ谷城跡の一部です。
また、
拝殿には三枚の武蔵式板碑が安置されています。

沼南の歴史をあるく31香取神社

この標柱の脇には、
出羽三山塔やら伊勢講碑やら富士登山記念碑やらが並んでいる。

藤ケ谷地区香取神社記念碑

どれも、
大正昭和のものだ。

藤ケ谷地区香取神社

西側にも石鳥居があって、
こちらが拝殿の正面にあたる。

藤ケ谷地区香取神社

この拝殿左天水桶のところに、
鉄柵に収納された武蔵式板碑が3枚。

藤ケ谷地区香取神社

左から永禄四年(1561年)
弥陀来迎板碑

藤ケ谷地区香取神社弥陀来迎板碑

真中が天文年間(1532~55年)
二十一仏板碑

藤ケ谷地区香取神社二十一仏板碑

右の板碑は年不詳、
十三仏板碑

藤ケ谷地区香取神社十三仏板碑

拝殿の先には、
本殿

藤ケ谷地区香取神社本殿

これは、
安政八年(1835年)の再建

藤ケ谷地区香取神社本殿

昭和三十五年(1960年)に茅葺き屋根を鉄板で覆ったが、
昭和四十五年(1970年)には瓦葺きに改装している。

藤ケ谷地区香取神社本殿

さて、
拝殿~本殿の右にはまあいろいろとある。

藤ケ谷地区香取神社

右から青面金剛塔を挟んで、
出羽三山塔など。

藤ケ谷地区香取神社文字青面金剛塔

青面金剛塔三猿それぞれの向きが、
バラバラなのが面白い。

内緒話をしようとしている猿それを聞かないようにしている猿と、
その光景をそっぽを向いて見ないようにしている猿のようにも見える。

藤ケ谷地区香取神社文字青面金剛塔

正面に二十三夜塔藤ケ谷講中向道と刻まれた、
明治27年(1894年)二十三夜塔道標になっている。

藤ケ谷地区香取神社二十三夜塔

右側は此方佐津間・松戸・東京道
左側は此方旧軽井澤・鎌ケ谷・船橋・千葉道

寛延四年(1751年)、
青面金剛塔

藤ケ谷地区香取神社青面金剛塔

青面金剛ショケラ邪鬼三猿も、
どれも表情が良い感じ。

文字青面金剛塔と、
台座の三猿

寛延三年(1750年)、
青面金剛塔。

藤ケ谷地区香取神社青面金剛塔

三猿の脇には、
小金領・藤ケ谷村の文字。

三猿なしの、
文字庚申塔

藤ケ谷地区香取神社文字青面金剛塔

右は不明で、
2基の三猿庚申塔

藤ケ谷地区香取神社三猿庚申塔

真ん中が享保三年(1718年)
左は寛延十三年(1760年)

三猿なしの、
文字庚申塔

藤ケ谷地区香取神社文字庚申塔

右から萬延元年(1860年)の二十三夜塔明治22年(1889年)の馬頭観音塔
そして明和二年(1765年)の疱瘡神の石祠

藤ケ谷地区香取神社二十三夜塔・馬頭観音塔・疱瘡神石祠

嘉永七寅年九月大吉日と彫られたものや、
御神と読めるものや不明の石祠

藤ケ谷地区香取神社不明石塔2基・石祠1基

文化拾年(1813年)
庚申猿田彦大神と刻まれたもの。

藤ケ谷地区香取神社猿田彦塔

見猿・聞か猿が向き合っていて、
言わ猿は逆を向いていて面白い。

藤ケ谷地区香取神社猿田彦塔三猿

ここまでが社殿脇参道右手で、
左手社殿側はこんな感じ

だけ読める石祠と、
不明石祠

藤ケ谷地区香取神社不明石祠

手水鉢青面金剛塔に、
文字庚申塔
石祠

藤ケ谷地区香取神社の手水鉢に青面金剛塔に文字庚申塔に石祠

青面金剛塔は、
嘉永七年(1854年)のもの。

藤ケ谷地区香取神社青面金剛塔

邪鬼の表情が、
特に良い。

文字庚申塔は、
文政八年(1825年)のもの。

藤ケ谷地区香取神社文字庚申塔

不明の石祠に、
崩壊した石塔。

藤ケ谷地区香取神社不明石祠と崩壊した石塔

金毘羅宮明治三十一年(1898年)庚申塔に、
伊勢参宮記念碑

藤ケ谷地区香取神社金毘羅宮・庚申塔・伊勢参宮記念碑

氏子中と御神前と刻まれたものは、
倒れている。

藤ケ谷地区香取神社倒れた石塔

天満宮に、
道祖神石祠

という感じで、
とにかくもりもりなのだ。

沼南の歴史をあるく30 持法院

藤ヶ谷地区持法院沼南の歴史をあるく30白い標柱

天台宗の寺院
登慶山如意輪寺持法院

藤ヶ谷地区持法院沼南の歴史をあるく30白い標柱

ここは、
沼南の歴史をあるく30でもある。

登慶山如意輪寺持法院という天台宗の寺院で、
本尊は阿弥陀如来です。
高台の観音堂には、
如意輪観音がられています。

沼南の歴史をあるく30 持法院
藤ヶ谷地区持法院

ここは、
確か彼岸花で有名なところ。

その彼岸花目的に、
2010年に訪れているはず。

でも、
今回訪れた際に以前訪れたことを思い出さなかった。

何だか、
同じ場所とは思えなかったのだ。

その時の写真があったので見てみると、
確かにここなのだが本堂を建て替えしたりしていて印象が違ったらしい。

朱色が印象に残る山門は、
変わらず。

藤ヶ谷地区持法院山門

扁額には、
登慶山

藤ヶ谷地区持法院山門

登慶山登慶は、
運慶の弟子登慶からきている。

藤ヶ谷地区持法院山門

そのことは、
山門を抜けて右にある持法院の沿革で知ることができる。

藤ヶ谷地区持法院境内

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、
源頼朝最大の支援者といわれる亥鼻城主千葉介常胤が、
鎌倉在館中、
霊夢により、
古梅の霊木を発掘。
これを仏師運慶に如意輪観音像として彫らせ、
一字を建立安置尊信したことに始まる。
永久の乱後、
次男で相馬氏を名乗った師胤は、
居住する総州相馬郡番場村に、
運慶の徒弟にして僧である登慶にこの尊像を造らせ、
茅葺の屋根で堂宇を結び、
厨子に藤の花を飾り安置。
これに人々は、
藤萱(ふじかや)村と呼ぶようになった。
貞応元年(一二二二)新たな堂宇を建立。
爾来、如意輪観音尊と登慶法師に因み、
登慶山如意輪寺持法院と号した。
比叡山延暦寺を本山とする天台宗の名刹である。
仏のご加護に下、
平成二十七年六月二十五日に檀信徒宿願の本堂、
客殿を落慶した。

持法院の沿革

千葉介常胤は、
2022年の大河ドラマ鎌倉殿の13人の中で岡本信人氏が演じていた人物だね。

藤ヶ谷地区持法院

山門入って、
左には鐘楼

藤ヶ谷地区持法院境内

持法院の扁額は、
以前のものをそのまま使っているんだろう。

藤ヶ谷地区持法院境内

本堂の前には、
如意輪観音像の説明板。

藤ヶ谷地区持法院境内

柏市指定文化財(彫刻) 昭和53年2月13日指定

🔶如意輪観音像

観音堂の本尊で、
半跏思惟・戴冠六臂の木造坐像で像高は52㎝、
白毫は水晶、
玉眼で、
宝冠を戴き、
彩色はなく白木彫です。
台座と光背は二重円光、
台座とも彩色があるが尊像とは別の製作と思われます。
本像を納める厨子には三ッ葉葵の紋が描かれています。
寺伝に寄れば、
鎌倉時代の建久元年(1190)、
鎌倉に在館していた千葉常胤が霊夢によってこの観音像を仏師運慶に彫らせ、
これを運慶の徒弟登慶が当地に遷座したとされます。
この尊像と登慶にちなんで、
寺号を「登慶山如意輪寺持法院」と称するようになりました。
千葉氏の一族で下総に勢を張った相馬氏と密接な関係にあったようです。
木像は、
下総三十三観音霊場の第27番の札所になっています。
如意輪観音像は、六観音・七観音のひとつで、
一切衆生の願望を満たし、
苦を救うものとされます。

平成27年3月31日 柏市教育委員会

如意輪観音像 説明板

持法院山門手前

藤ヶ谷地区持法院山門前

山門手前には急な石段、
その手前の両脇には大師堂があるがそれ以外にもいろいろ。

藤ヶ谷地区持法院

右脇には、
右から大正六年(1917年)の光明真言塔

次が、
まだ新しい平成17年(2005年)聖徳太子塔

元治元年(1864年)
出羽三山・百観音供養塔

天保十一年(1840年)、
回国供養塔

回国行者百余人施宿供養
と刻まれている。

回国供養塔

僧侶・修験・行者などが、

大乗妙典(妙法華経)を書き写し、

仏像と一緒に厨子に納めて背負い、

国家安全・滅罪作善・追善回向などを願って、

全国(六十六国)を回り、

一国一箇所(国分寺などの由緒ある霊場)への奉納が、
無事終わった記念に建てられた石塔。

奥に少し見えるのが、
下総新四国順拝記念碑

菩提樹と書かれた紙が貼られている木は、
山崎弁栄上人ゆかりの菩提樹らしい。

藤ヶ谷地区持法院

左脇には、
墓石に混じって寛政五年(1793年)の金剛界大日塔

藤ヶ谷地区持法院

明治38年(1905年)、
薬師如来塔
などなど。

藤ヶ谷地区持法院

東葛印旛大師第8番と番外鯖大師

藤ヶ谷地区持法院第8番大師堂・番外鯖大師

この階段手前には、
東葛印旛大師第8番番外鯖大師がある。

藤ヶ谷地区持法院番外鯖大師堂

右にあるのが、
番外鯖大師堂

藤ヶ谷地区持法院番外鯖大師堂

鯖大師堂の御詠歌額には四国八十八ヶ所の番外札所
通称鯖大師本坊または鯖大師八坂寺と同じものが。

藤ヶ谷地区持法院鯖大師御詠歌額

所在地:徳島県海部郡海陽町浅川字中相
創建年:不詳
開祖:(伝)行基
山号:八坂山
寺号:八坂寺
宗派:高野山真言宗
本尊:空海(弘法大師)
真言:南無大師遍照金剛
御詠歌:かげだにも 我名を知れよ 一つ松 古今来世を すくひ導く

大師堂の中には、
大正二年(1913年)の鯖大師像

藤ヶ谷地区持法院番外鯖大師堂

もう1つが、
第8番

藤ヶ谷地区持法院第8番大師堂

実際の四国八十八所霊場第8番は、
熊谷寺

藤ヶ谷地区持法院第8番標石

標石は新しく、
文政期のものはない。

藤ヶ谷地区持法院第8番大師堂

所在地:徳島県阿波市土成町土成字前田
創建年:(伝)弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:普明山
院号:真光院
寺号:熊谷寺
宗派:高野山真言宗
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:たきぎとり 水熊谷の 寺に来て 難行するも 後の世のため

観音堂

階段を上がっていくと、
途中左右には青面金剛塔

右は、
宝永五年(1708年)のもの。

左は、
宝暦七年(1757年)のもの。

石段を上り切ると、
正面には観音堂

藤ヶ谷地区持法院観音堂

右には、
元禄十七年(1704年)の六地蔵

藤ヶ谷地区持法院六地蔵

東葛印旛大師第26・46番

観音堂への石段を上り切った左側にあるのが、
1つ屋根の下の東葛印旛大師第26・46番

藤ヶ谷地区持法院第28・46番

左が、
標石が示すように26番

藤ヶ谷地区持法院第28番標石

実際の四国八十八所霊場第26番は、
金剛頂寺

藤ヶ谷地区持法院東葛印旛大師第26番御詠歌額

所在地:高知県室戸市元乙
創建年:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師)
山号:龍頭山
院号:光明院
寺号:金剛頂寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:往生に 望みをかくる 極楽は 月のかたむく 西寺の空

そして、
右が46番

藤ヶ谷地区持法院東葛印旛大師第46番標石

実際の四国八十八所霊場第46番は、
淨瑠璃寺

藤ヶ谷地区持法院東葛印旛大師第46番御詠歌額

所在地:愛媛県松山市浄瑠璃町
創建年:(伝)和銅元年(708年)
開基:(伝)行基
山号:醫王山
院号:養珠院
寺号:淨瑠璃寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:極楽の 浄瑠璃世界 たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
藤ヶ谷地区第8番と26番と46番

そして、
番外の鯖大師も一緒に。

更にその8・26・46番がある持法院と、
近くにある香取神社でした。

どちらも、
結構いろいろと見どころがあって写真が多くなってしまったな。

東葛印旛大師第26・46番ポタリングMAP

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他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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