東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回
さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
今のところ訪れたのは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所6・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
・柳戸地区
札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
札所2・掛所1・元札所1
・若白毛地区
札所3・元札所1
その旧沼南地域17地区のうち、
9地区とやっと半分を越える。
まわった札所は31・元札所6・掛所7、
となる。
それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の10地区目になる大井地区。
ここは、
既に出てきた箕輪地区のお隣になる。
地図だと、
こんな感じ。
この大井地区には、
東葛印旛大師の札所が2つと元札所が1つ。
大井地区
①福満寺 7・54番札所
※香取神社 元54番
沼南の歴史をあるく47 福満寺・香取神社
この香取神社と第7・54番がある福満寺は、
沼南の歴史をあるく47になっている。
ん?
これは沼南町の歴史をあるくだ。
町って他も付いていたっけ?
確か付いていなかったような気がするのだが…まあいいか。
福満寺は天台宗の教永山福満寺積善院といい、
沼南の歴史をあるく47 福満寺・香取神社
奈良時代の尊慶による創建。
昔は境内に広大な堂塔伽藍を擁していましたが、
火災に遭い、
近世の建築は観音堂と鐘楼のみで、
本堂は昭和五七年の再建です。
香取神社は元和五年(一六一九)の創建とされ、
境内は、
昭和五〇年に整備されました。
大井地区香取神社
先ずは元54番だった、
香取神社から。
鳥居前左の社号標の更に左の方には、
不動尊と書かれたお堂がある。
扉が開いていて、
中の石像が見える。
台座には、
成田山と彫られている。
鳥居を抜けると、
左に記念碑。
石灯籠に先には、
見事な椎の木。
その左奥には、
奉納 香取大明神とある手水鉢。
そして、
春日社のお堂。
これは社務所だろうか?
無人のようだ。
縄が張られていて、
スズメバチ危険みたいなことが書かれていたので近寄らず。
その脇には、
石祠が並んでいるがこちらにもあまり近寄れず。
右から天明三年(1783年)、
第六天とある。
延享三年(1746年)、
大杉大明神とある。
大正六年(1917年)、
並列で賀蘇山と古峯かな?と一部読める。
文政八年(1825年)、
石神大明神とある。
同じような感じだけれど、
不明のものが二基。
更に不明のものが、
1基。
天保十二年(1841年)、
灯篭か何かの下の部分だろうか?
参道を右に折れて進むと、
龍の吐出口の手水鉢の手水舎がある。
その先には、
四脚門とも呼ばれる権現鳥居。
扁額は渋くて、
なかなかステキな感じだ。
右には、
大杉社。
更に、
天神社に稲荷社に子安社。
正面には、
拝殿。
拝殿の奥には本殿があるのだが、
安永年間(1772~1782)の旧本殿は新造の鞘殿内に収納したようで見られない。
緑の中に朱色が映える、
なかなか雰囲気の良い場所だった。
福満寺
以前、
柏市の平将門スポット ポタリング 福満寺で出てきたけど再訪。
香取神社の道を挟んで左手にあるのが、
福満寺。
大井の晩鐘
坂の下に本堂などがあり、
ここには教永山の扁額がある大井の晩鐘。
楼門の石垣は、
万延元年(1860年)のもの。
大井・五條谷・箕輪村の69名が寄進していて、
その名前が縁石に刻まれている。
観音堂境内
坂を降りて行くと、
道沿いに既に准四国霊場の小堂。
観音堂境内に入ると、
宝永四年(1707年)の六地蔵。
両脇には、
四角柱の竿で上部に観音坐像のある燈籠。
これは、
宝永三年(1706年)のものだ。
それぞれの観音坐像のお顔は、
こんな感じ。
正面には、
観音堂。
堂に収められているのは、
聖観世音菩薩。
幾度もの火難をのがれてきたことから火防観音と呼ばれていて、
住職一代にたったの一回のみの御開帳が許されるという秘仏。
このかつて本堂として使われていたこの観音堂は、
江戸時代初期のもの。
三方に、
回廊と高欄が廻っている。
観音堂左手は、
四国霊場を写した堂宇が建ち並んでいる。
この景色は、
いつ見ても圧巻だ。
これは明治十一年(1878年)、
徳純和尚が檀家に呼びかけて完成させたもの。
各お堂の下には、
四国霊場の砂が納められているらしい。
建て替えられて新しいものもあるが、
なかなか見ることのない景色だ。
これらの小堂群に混じって、
太子堂や馬頭観音堂がある。
それぞれに説明板があるので、
わかり易い。
他にも、
金毘羅大権現。
水戸家に仕え隠密として活動したと伝わる、
日暮玄蕃の墓塔なども。
本堂境内
観音堂の方もそうだったが、
こちらにもいろいろあってそれぞれ説明板がある。
左には、
弁天池がある。
赤い橋が架けられた先には、
弁財天が祀られている。
天保11年(1840年)、
上野寛永寺の不忍池弁財天を勧請したもののようだ。
赤い橋のたもとには、
かしわ七福神のうちの布袋尊。
こちらは、
粟島大明神。
こちらは、
宝子霊石。
こちらは、
倶利伽羅龍王。
お隣にあるのは、
開運の黄金水。
本堂の前にある、
宝篋印塔。
本堂の右側にあるのが、
以前も登場した平将門大明神。
将門公繋がりの、
平将門第三夫人鏡井戸。
まあ、
とにかくいろいろある。
東葛印旛大師第7・54番
それで、
東葛印旛大師第7・54番は観音堂境内にある。
第7番は説明板があるので、
わかり易い。
大師堂にも、
第七番 大井大師組合と書かれた札がある。
これって、
以前はなかったような気がするんだけどどうだったろう?
実際の四国八十八所霊場第7番札所は、
十楽寺。
所在地:高知県南国市
創建年:(伝)大同年間(806年 – 810年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:光明山
院号:蓮華院
寺号:十楽寺
宗派:真言宗単立
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌:人間の 八苦を早く 離れなば 到らん方は 九品十楽
さて、
54番は?というとこれがあの沢山の小堂の中に紛れている。
とは言ってもわかり易いところにあるし、
こちらにも大井大師組合と書かれた札があるので見つけ易いといえば見つけ易い。
実際の四国八十八所霊場第54番札所は、
延命寺。
所在地:愛媛県今治市
創建年:(伝)養老4年(720年)
開基:(伝)行基
山号:近見山
院号:宝鐘院
寺号:延命寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:不動明王
真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
御詠歌:くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
大井地区の第7番と54番。
その2つの札所があるのが、
見所沢山の福満寺。
そして、
元54番だった香取神社。
大井地区と言えば、
他にも将門公スポットが以前出てきたようにいくつかある。
例えば、
平将門 王城の地とか。
例えば、
車ノ前五輪塔とか。
いずれにしても、
大井の地名は正倉院の宝物や文書に記された大井郷という地名から奈良時代まで遡る。
奈良・平安時代の大規模な集落や村落寺院の跡が見つかり、
大井郷のくらしの一端も明らかになっているしなかなかな場所なのだ。
奈良時代以外にも古墳や中世の石造物、
江戸時代の村絵図など貴重な文化財が多く残されている場所なのだ。
東葛印旛大師第7・54番ポタリングMAP
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