泉地区3回目
さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
泉地区
①二十三夜堂 31番・70番札所
②龍泉院 33番札所(・元16番)
③伊津美神社 28番札所
※妙見社 元16番
※不動堂 元31番
泉地区の3回目となる今回は、
龍泉院にある第33番札所(・元16番)。
その前に、
もはやメインのような恒例の寄り道。
泉の庚申塔群手前の石祠と石像
泉地区の庚申塔群を訪れる途中、
道の右手の小高くなっている所がある。
何かあるかもと思ったら、
石祠を発見したので自転車を降りて見てみる。
1つは、
不明のもの。
もう1つは、
石尊宮と刻まれている。
❓石尊宮❓
石尊権現のことで良いのかな?
大山の山岳信仰と、
修験道的な信仰が融合した神仏習合の神。
十一面観音を本地仏とする。
近くには、
首のない石仏がある。
更に、
不動明王像。
自転車で走っていると時々こういうものを発見するけれど、
知らずに通り過ぎてしまっているケースもあるかもしれない。
沼南の歴史をあるく27 泉庚申塔群
とはいえ、
これはまず通り過ぎることはないだろう。
こちらも道路脇の小高くなったところに、
庚申塔がずらりと並んでいる。
ここは沼南の歴史をあるく27、
泉庚申塔群。
この場所は泉地区から金山地区への入口にあたります。
沼南の歴史をあるく27 泉庚申塔群
十三基の庚申塔が並んでおり、
正徳元年(一七一一)から昭和五十四年にかけて造立されたもので、
泉地区では現在も庚申講が行なわれています。
今も庚申講が行われているとはいっても、
この標柱は平成二年(1990年)のものだから実際今もそうなのか?はわからない。
何しろ、
この時から20年以上経過しているわけだからね。
では、
早速右から見ていこう。
最初にあるのは、
布瀬の百庚申塔のところにもあった三猿が壺を持っていて中がくりぬかれたもの。
正徳元年(1711)、
青面金剛像。
これが、
標柱によれば1番古いものだね。
日輪・月輪の下に彫られている文字は、
奉建立・庚申尊像・為二世安泰・正徳元辛卯年十月吉日・下総国南相馬和泉村・同行善男子五十五人。
二鶏はないようで、
三猿は皆正面を向いている。
あと、
合掌タイプのものだ。
この皆正面を向いているものって、
古いものが多いような気がしたんだけどどうなのだろう?と考えていたらもう次は違う。
享保十五年(1730年)、
青面金剛像。
こちらは、
合掌していない。
その代わり、
ショケラを持っているタイプ。
彫られている文字は、
泉邑若衆・享保十五寅戌霜月穀日・同行五十人。
延享三年(1746年)、
青面金剛像。
こちらも、
ショケラを持っているタイプ。
元から無かったことはないだろうから、
きっと欠けてしまったのだろう。
彫られている文字は、
延享三年丙寅天十一月吉日・同行廿七人。
他のものより、
彫りが深く感じられる青面金剛像は正面にいつのものか?が刻まれていない。
それどころか、
文字も何も刻まれておらず二鶏もない。
宝輪が若干朱に染まっているのは、
浦部の百庚申が朱に塗られているのと同じ風習なんだろうか?
明和五年(1768年)、
合掌型の青面金剛像。
邪鬼の上には、
二童子が彫られている。
彫られた文字は、
明和五戌子十一月吉日。台座に同行三十人・和泉村。
ここからは、
文字庚申塔になる。
青面金剛王と刻まれた、
日輪・月輪が立体的ではみ出ているものでもちろん三猿付。
隣の小さなものは、
庚申とだけ刻まれている。
青面金剛王とだけ刻まれた、
三猿が若干朱に塗られているもの。
日輪・月輪は立体的で、
台座には泉村講中の文字。
左隣の小さなものは、
天保八年(1837年)庚申塔と彫られたもの。
更に三猿付の庚申塔と刻まれたもの、
庚申供養塔台座には講中と刻まれたものと刻まれたもの。
同じく庚申供養塔と刻まれ、
台座には講中と刻まれたものが2基あって左が昭和五十四年(1979年)のもの。
沼南の歴史をあるくだとここまでだったみたいだけど、
その後平成九年(1997年)・十五年(2003年)の新しいものが追加されている。
少し空間があって、
今度は7基の石塔がある。
右から、
文化四年(1807年)の山神宮と彫られたもの。
山神宮講中・行山村・柳戸村・和泉村、
と彫られている。
❓山神❓
山に宿る神。
農民の間では、
春になると山神が山から降りてきて田の神となり、
秋には再び山に戻るという信仰がある。
真ん中のものも山神宮、
明治十七年(1884年)十二月十七日とあり台座に杣職中と読める。
❓杣職❓
杣は木材を切り出す山のこと。
杣職は杣木を切り出すことを職業とする人。
要は木こりだな。
左は、
大乗妙典行者と彫られている。
明治十のあとは、
1度折れたものを修復している跡があって読めない。
右??左木下?と左右に彫られているのは、
道標の役割も果たしていたのか?
❓大乗妙典行者❓
大乗妙曲は一般的に法華経(妙法蓮華経)のことを意味する。
かつて全国主要神社仏閣を巡り、
法華経を納める行を行う六十六部と呼ばれる人たちがいた。
これが多分大乗妙曲行者。
明治以前日本は66の国に分かれ、
その全ての国にお経を一部納めたことに由来する。
この行を行った人々は記念の石塔を建て、
その石塔は廻国塔と呼ばれる。
1番右は、
大正十年(1921年)の馬頭観世音と彫られたもの。
次も、
馬頭観世音で上に馬頭2頭付。
その次が、
馬頭観世音供養塔と彫られたもの。
最後は、
(聖徳)太子社。
一つ一つ見ていくといろいろなかなか楽しいし、
これくらいの数だとちゃんと見ることができるのでちょうど良い数かもしれない。
不動堂(東葛印旛大師元31番)
千葉県道282号柏印西線まで戻って左にいくと、
道路脇に石段がある。
ここを上ると、
東葛印旛大師元31番の不動堂がある。
不動堂はまだ新しく、
とは言ってももうすぐ四半世紀になる平成十一年(1998年)に再建されたもの。
ここはこの後に出てくる東葛印旛大師33番の龍泉院境外堂宇の不動堂で、
眼疾に霊験があるとされる新潟県菅谷山不動尊を勧請して明治十二年(1879年)に創建されたようだ。
狛犬の奥に見える石塔には、
その菅谷不動尊石坂敷石と彫られている。
その奥には、
不動堂再建記の石板。
かつてはタニシ不動といわれ、
菅谷山不動尊を勧請しただけのことはあって湧水が眼病治癒に効験があり参拝者が絶えなかったらしい。
ただ、
県道が開かれた際に涸れてしまって寂しいことになってしまった。
東葛印旛大師元31番は元々二十三夜堂にあったが、
明治期に1度この不動堂に移り令和2年(2020年)にはまた元の二十三夜堂に再移転している。
ここには東葛印旛大師元31番があった痕跡は、
特に見当たらない。
と思ったら大きな台座に、
小さなお地蔵様。
どういうものなのか?は不明だが、
ずいぶんとアンバランスだ。
もしかすると、
この台座の上に元31番の大師堂があったのかもしれない。
境内には他に、
御寶前と彫られたものと不動明王像かな。
不動堂の脇を上がっていくと、
何故か扁額が3つもある天満宮があった。
右奥には、
太子宮と彫られたものと不明の石塔。
龍泉院馬頭観音塔群
龍泉院の林の中にあるのが、
馬頭観音塔が並んでいる場所がある。
手前には、
不明のお堂も。
新しく大きめの昭和五十五(1980年)の馬頭観音塔があって、
少し離れたその先に倒れているものも含めると10を超える馬頭観音塔が並んでいる。
文字塔だけなので、
見てもそんなに面白いわけではないがいくつかは宝馬(馬の頭)が付いている。
葉に覆われて一部見えないが、
特に変わったものはないようだった。
少し変わったものは、
右端にある天明〇年(欠けていて読めず)のもの。
天明は1781年から1789年だから、
この中では最も古いものだ。
これだけ馬頭観世音ではなく、
南無大悲馬頭観世音菩薩と彫られていた。
沼南の歴史をあるく26 天徳山龍泉院
さて、
建長5年(1253年)創建の龍泉院。
樹齢300年の樅の木のところに自転車を停めて、
しばし探索。
駐車場には、
お地蔵様。
寛政六年(1794年)建立で、
九曜星と月星の彫刻がある山門。
その手前には、
石塔。
右は不許葷酒入山門とあり、
左は普門品拾萬巻供養塔。
❓不許葷酒入山門❓
修行の妨げになるので葷(ニラやニンニクなど臭いがきつく勢力がつきすぎるもの)や、
お酒はお寺に持ち込んではいけないということ。
ただ、
どこで区切るかでいみは違ってくる。
葷で区切れば、
お酒はOKになる。
不許で区切れば、
本当はダメなんだけどどちらもOKになるのだ。
山門を入って、
本堂に向かわず左に折れると生垣沿いに石碑・石仏・石造物。
正面には、
不明のお堂。
更に右に折れると、
宝暦6年(1756年)の納経塔。
その先の右手には、
山崎辧栄聖者手植の菩提樹。
左手は、
大非殿。
❓大悲殿❓
大悲は、
観音菩薩の別名。
衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す。
大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと。
堂内に祀る大慈天悲の観音像は県内唯一の西国坂東秩父百観音石仏なり…、
と書かれた説明板がある。
もう少し、
先へ進む。
その先には、
雲堂がある。
❓雲堂❓
禅宗七堂伽藍の1つ。
禅の修行僧が集まって修行する、
禅修行の中心となる道場のこと。
本堂手前には、
こんな愛らしい感じのものも。
本堂前の、
十三重石塔。
❓十三重石塔❓
石造りで十三重構造の層塔、
もしくは石造りで十三層構造の塔婆を意味する。
アジア各地に同様の塔が数多く存在し、
日本国内だけでもかなりの数に上る。
山門右手には、
いくつかの記念碑が並んでいる。
その先には、
東葛印旛大師の大師堂がある。
その先にも、
石仏などなど。
東葛印旛大師第33番
そして、
東葛印旛大師第33番。
脇には、
三が欠けていて十三番になってしまっている標石。
実際の四国八十八所霊場での第33番は、
臨済宗に所属する2つのお寺の内の1つ雪蹊寺。
所在地:高知県高知市長浜
創建年:(伝)弘仁6年(815年)、嘉禄元年(1225年)とも
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:高福山
院号:高福院
寺号:雪蹊寺
宗派:臨済宗妙心寺派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:旅の道 うえしも今は 高福寺 のちのたのしみ 有明の月
というわけで…
今回の東葛印旛大師ポタリング88は、
天徳山龍泉院にある第33番。
それ以外には、
泉地区の沼南の歴史をあるく27にもなっている庚申塔群。
そして、
元31番で龍泉院境外堂宇の不動堂。
更に、
龍泉院の馬頭観音塔群。
などなど、
の巡りでした。
東葛印旛大師第33番ポタリングMAP
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