さて、
東葛印旛大師88ポタリング。
ここまで訪れた地区は、
こんな感じ。
・手賀地区
札所6・掛所2
・布瀬地区
札所4・元札所1
・箕輪地区
札所4・元札所1
・片山地区
札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
札所・元札所1
・泉地区
札所4・掛所3
※もう少し詳しくはこちらで。
それで、
今回は柳戸地区。
柳戸地区
①弘誓院 83番札所
②阿弥陀堂 40番札所(・元86番)
③大野鯖大師 掛所
※六所神社 元40番
基本巡った順番に書いているのだけれど、
当然地区が混ざることもある。
でも、
ここは地区毎に。
柳戸地区は、
地図だとこうなる。
手賀の丘公園の下あたりが、
この地区になる。
今回はその中から、
40番札所(・元86番)の阿弥陀堂とお隣にある元40番六所神社と掛所の大野鯖大師。
東葛印旛大師 掛所 大野鯖大師
手賀の丘公園を通り過ぎて通りを下って行った近くにあるのが、
東葛印旛大師掛所の1つである大野鯖大師。
❓鯖大師❓
現在の徳島県にあたる阿波国を中心として伝わる高僧伝説。
違うスタイルがあって1つはこんなお話。
魚の行商人が鯖が売れないで腐りかけて困っていたところ、
一人の旅僧が通りかかり鯖にふれると生き返ったという話。
別のものは、
魚の行商人が鯖が売れないで腐りかけて困っていたところ、
通りすがりのみすぼらしい姿の旅僧につめたくあたり、
桶の中の鯖が腐ってしまったという話。
みすぼらしい旅僧に親切にしたところ、
お礼に鯖の大漁がつづいたという話などなど。
いずれにしてもここに出てくる旅僧は弘法大師(空海)。
県道282号線、
手賀の丘公園入口の信号の先。
ファミマの向かいの左手、
階段が数段ある小高い場所にそれはある。
最初に目につくのは朱色のきものを着せられて見えないが、
おそらく鯖を持っているであろう弘法大使の鯖大師像。
台座には、
御修行弘法大使御影と彫られている。
手前両脇には、
ちゃんと狛犬もいる。
真ん中には、
四国霊場巡拝供養塔。
左には、
弘法大師千百年記念碑。
樹の下にも石塔があるのだけど、
彫られた文字がよく読めない。
奉造立十三夜云々と彫られている気がするのだが、
正確なところはわからない。
兵主八幡両神社向かいの8基の庚申塔の1つに、
これと似たものがあった。
柏市消防団小屋前の石塔群
県道282号線を戻る形で進むと、
左手に馬頭観音塔を発見。
大とあるので大正時代のものかな?
馬頭までは読める。
そして、
柏市消防団5方面6分団小屋入口を挟んだところには石塔群。
向かって左から、
大正三年(1914年)の出羽三山供養塔。
安政五年(1858年)、
第六天社の石祠。
❓第六天❓
淫欲と食欲がある衆生が住む世界である、
欲界の最高位にある他化自在天。
右は明治十六年(1883年)、
月輪・日輪・三猿付の文字庚申塔。
更に文化八年(1811年)、
月輪・日輪・三猿付の文字青面金剛塔。
寛政七年(1795年)、
日輪付の大青面金剛塔。
享保十三年(1728年)、
先ほどの鯖大師のところにあった奉造十三夜云々と彫られているものと同じ感じのもの。
昭和七年(1932年)、
正面向きの三猿付文字庚申塔。
月輪・日輪は、
立体的ではなく刻まれたもの。
宝暦九年(1759年)、
三猿付・ショケラ持ちの青面金剛像塔。
少し先に行ったところに、
1つだけポツンと元祖供養塔と彫られた石祠があった。
ちなみに、
県道282号線をもう少し布瀬の方に進んだ信号のところにも道標がやはりポツンとある。
右ハ布瀬村、
左ハ手賀村と読める。
他にも何か刻まれているのだが、
良く読めない。
これもそうだけれど、
この辺りの道沿いには意外にこういった類のものを見つけることができる。
まだ、
通り過ぎているものもあるだろうが見つけたら各地区の記事の中に入れていくつもりだ。
沼南の歴史をあるく7 一ツ井戸
更に進むと左に坂があるのだがもう少し進むと、
右手に東屋っぽいものが見える。
これが、
一ツ井戸。
ここは、
沼南の歴史をあるく7 一ツ井戸・桜並木の標柱がある。
下柳戸地区は昔から十戸の個数を増やさず、
沼南の歴史をあるく7 一ツ井戸・桜並木
井戸もこの一ツ井戸を共有していました。
南にある桜並木は金山落しの改修後、
景観保持のため昭和三十五年から植えられたものです。
桜並木は、
今井の桜のことだろう。
一ツ井戸はその名の通り井戸みたいだけど、
安全面を考えれば当然だけど石板でふさがれている。
水道がない時代、
この井戸が地区全体で共有されていたわけだ。
この井戸の上に県道があり、
更にその上には集落がある。
男子が朝野良仕事に出るときは天秤棒に水桶を提げてこの一ツ井戸に置き、
昼食時や帰宅時に水を運び上げたらしい。
花見堂地蔵と道標
県道の上の道に行くと、
ガード・レールの向こうに何やらある。
その1つが、
以前に布瀬でも見たことがあった花見堂地蔵尊と彫られたもの。
寛延四年(1751)のもので、
十一月吉日とあって三月ではないのだ。
もう1つは、
明治四十一年(1908年)の道標だ。
正面は、
真ん中に大師道四國八十八ヶ所。
その右は、
七十二番禅林山南藏院ヘ四丁六間かな?
左は、
八十三番弘誓院ヘ六丁四間かな?
側面には、
大師道八十六番西光院。
六所神社
そのガードレールを背にして細い道を進んで行くと六所神社があるのだが、
途中には長屋門のある立派な家々が並ぶ。
六所神社は、
日本全国に存在する神社で六柱の神を祭神とすることによる。
❓六柱の神❓
柱は神様を数える単位で、
六柱は、
最初の夫婦の神様で多くの神様を生んだ、
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
太陽の神様、
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
月の神様
・月読命(つくよみのみこと)
海から来た福の神様、
・蛭子神(ひるこのかみ)
女性の病などに御利益のある神様、
淡島神(あわしまのかみ)
の六神のこと。
東葛印旛大師第40番札所は、
こちらにあったこともあるようだ。
鳥居の右手前には、
久しぶりの謎の文化十酉年の標石。
正面は新四國廿四番、
側面は土州東寺移六所明神かな?
他にも謎の文化十酉年の標石が、
更に2基あった。
正面の小ぶりな社殿の左右にあって、
右には新四國二十五番。
左には、
新四國二十六番。
新しい感じの手水舎のある参道脇には、
他にも石祠がいくつか。
新四國二十五番の近くには、
正面は足のみ読める文化十三寅(1816年)と側面に彫られた石祠。
近くの木祠の中には、
天明五年(1785年)の天満宮石祠。
新四國二十六番近くには、
手前に大杉大明神の石祠。
奥には、
不明の石祠。
阿弥陀堂
この六所神社の左側にあるのが、
阿弥陀堂。
寛文十三年(1673年)に再建された古堂はなく、
新しいものになっている。
裏手は墓地になっているが、
その中に子安観音像なども。
手前右が明治十六年(1883年)の子安観音像
左が昭和七年(1932年)の子安観音像。
1番右が、
延宝五年(1677年)の如意輪観音像。
次が、
年不詳の十九夜塔
写真では隠れて見えない次が、
元禄元年(1688年)の如意輪観音像。
1番左が、
宝暦十三年(1763年)の十九夜塔。
東葛印旛大師第40番
阿弥陀堂手前右には、
東葛印旛大師第40番の大師堂がある。
ただ、
右隣には第28番もある。
でも第28番は伊津美鳥見神社にあるので、
これは謎の文化十酉年の第28番の大師堂なのか?
今までは標石しかなかったのにね、
よくわからない。
手前左には、
昭和八年(1933年)の第40番の標石。
右には、
謎の文化十酉年の第28番の標石。
第28番の方にも、
ちゃんと御詠歌額はある。
これだと、
普通に東葛印旛大師第28番と勘違いしてしまう。
まあそれはさて置き、
第40番。
実際の四国八十八所霊場では、
第40番札所は第一番札所より最も離れていることから「四国霊場の裏関所」と呼ばれている観自在寺。
所在地:愛媛県南宇和郡愛南町
創建年:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:平城山
院号:薬師院
寺号:観自在寺
宗派:真言宗大覚寺派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
柳戸地区から第40番。
他にも、
というかこちらがメインのようになっている寄り道は東葛印旛大師 掛所 大野鯖大師。
そして、
柏市消防団小屋前の石塔群。
更に、
沼南の歴史をあるく7 一ツ井戸。
花見堂地蔵と道標、
六所神社も一緒に。
東葛印旛大師第40番ポタリングMAP
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