柳戸道端の石仏・石祠・標石と熊野神社・天満宮・弘誓院東葛印旛大師第83番ポタリング

弘誓院

柳戸地区2回目

さて、
東葛印旛大師88ポタリング

柳戸地区
  ①弘誓院 83番札所
  ②阿弥陀堂 40番札所(・元86番)
  ③大野鯖大師 掛所
  ※六所神社 元40番

今回は、
柳戸地区の2回目だけど最後。

第83番札所
弘誓院

道端の石仏・石祠・標石

柳戸地区県道282号線脇のお地蔵様

県道282号線から弘誓院に向かう脇道に入るのところ、
道路沿いにお地蔵様

この時は、
ワンカップのお酒がお供えされていた。

柳戸地区県道282号線脇のお地蔵様

右側は了〇禅宕門為菩〇也?
ちょっと読めない。

左側には、
享保二年(1717年)と刻まれている。

柳戸地区坂道脇の石祠と標石

細い道を進んで行くと、
急な坂となる。

その坂の途中に、
今度は石祠があるがこれもなんて刻まれているのか?はわからない。

柳戸地区坂道脇の石祠と標石

更に標石があり、
こちらは新四國三十九番と読める。

柳戸地区坂道脇の石祠と標石

またしても登場の、
謎の文化十酉年(1813年)のものだ。

ひっそりとそこにあるので見逃しそうになるが、
こういうのを知らずに見つけるとちょっと嬉しかったりする。

柳戸熊野神社

柳戸地区熊野神社

坂を折り切ると、
柳戸熊野神社がある。

数段の階段の先には、
すぐに大正3年(1914年)の石鳥居がある。

その奥すぐに文政2年(1819年)の石灯篭文久元年(1861年)の常夜灯
それと元治元年(1864年)の手水鉢

そして、
すぐに拝殿というか集会所のような建物。

右には、
熊野神社再建記念碑

その左脇には、
ここにも登場の謎の文化十酉年(1813年)の標石

柳戸地区熊野神社

こちらは、
新四國三十七まで読める。

柳戸地区熊野神社

建物の裏にまわると、
昭和五十二年(1977年)改築本殿があり神鏡が中にある。

柳戸地区熊野神社

弘誓院横の天満宮

柳戸地区天満宮

熊野神社弘誓院の間にあるのが、
天満宮

柳戸地区天満宮

木祠に至る手前の木の前に、
またしても謎の文化十酉年(1813年)の標石が。

柳戸地区天満宮

こちらは、
新四國三十五番と刻まれている。

道路沿いの石塔

柳戸地区石塔

弘誓院手前の道路脇には、
4基の石塔

手前から貞享四年(1687年)の十九夜塔
明和七年(1770年)の十九夜塔

更に、
天保八年(1837年)の二十三夜塔と年不詳の馬頭観音塔

沼南の歴史をあるく14 弘誓院

沼南の歴史をあるく14弘誓院

さて、
弘誓院沼南の歴史をあるく14でもある。

沼南の歴史をあるく14弘誓院

蓬莱山福満寺弘誓院という真言宗豊山派の寺院で、
むかしから「柳戸の観音様」として知られています。
現本堂は江戸時代初期の建立で町内きっての古建築です。

沼南の歴史をあるく14 弘誓院

その本堂が、
こちら。

弘誓院本堂

この弘誓院は、
大同年間(806-810)に行基菩薩が自ら刻した聖観音像を奉安して創建したと伝えられる。

弘誓院本堂蓬莱山の扁額

この本堂は、
旧観音堂のようだ。

弘誓院本堂

旧来の本堂等の諸堂は、
現在の鐘楼堂がある前方丘上にあったらしい。

またここは、
下総三十三ヶ所観音霊場の33番でもある。

弘誓院3つの文化財1 聖観世音菩薩坐像

弘誓院

この弘誓院には、
3つの文化財がある。

1つ目は、
千葉県指定文化財観世音菩薩坐

弘誓院千葉県指定文化財聖観世音菩薩坐像説明板

千葉県指定有形文化財
聖観世音菩薩坐像

所在地 千葉県東葛飾郡沼南町柳戸六一二番地
指定年月日 平成三年二月十五日

鎌倉時代(十三世紀後半)。
本像は曼荼羅に描かれた聖観音の形に一致する密教系の観音像。
左手に蓮華を持ち、
右手でその華を開く勢を示し、
結鹿跏鮒趺座する。
平安時代後期以来の伝統的割矧技法をもつが、
引き締まった相貌や彫りの深い衣文の彫法等に鎌倉時代の作風を示す。
作者系統は明らかでないが、
十三世紀前半から半ばにかけて活躍した仏師定慶の作風の影響がうかがわれる。
大きな取材を使ったやや変則的な木取りや幅広い両肩や両脚部のつくりなどに地方性を示していると共に、
迫力ある表現を生み出しており、
鎌倉期の少ない聖観音像として貴重である。
(普段は秘仏のため拝観はできません。)

法量(大きさ)単位……cm
〔本体〕像高七九・一cm
〔光背」総高一二一・〇cm
〔台座」総高七〇・vcm

平成五年三月二〇日

千葉県教育委員会
柏市教育委員会

聖観世音菩薩坐像説明板

この秘仏の御開帳は、
なんと60年に1度というもの。

前回の御開帳は、
昭和46年(1971年)だったようだ。

なので、
次回は2031年ということになる。

弘誓院3つの文化財2 妙法蓮華経版木

弘誓院

もう1つの千葉県指定文化財は、
妙法蓮華経版木

妙法蓮華経版木

・『無量義経』

・『妙法蓮華教』

・『仏説観普賢菩薩行法経』

の法華三部経を印刷する為に刻字された板木のこと。

『無量義経』が法華経の入り口という意味で開経、

『仏説観普賢菩薩行法経』が法華経の結びという意味で結経と呼ばれる。

案内板には、
沼南町指定有形文化財となっているけど今は県指定になっている。

沼南町指定有形文化財
法蓮華経版木

所在 沼南町柳戸六一二
指定 昭和五十年十二月

この版木は、
昭和三十八年本堂屋根替の時、
天井部分から発見されました。
一時に五十枚前後の版木がみつかったのは、
非常に珍しいことです。
このうち、
完形のものは三十枚あります。
製作年代は不明ですが、
当時の伝えでは、
約五百年程前とされています。
長い間天井にあったため、
全体的に保存は良好で、
硬い桜材が用いられています。
法華経は、
大乗経典のひとつで、
仏出世の本旨を説き、
諸々の大乗経典のうちでも最も高遠な妙法を開示した経典です。

柏市教育委員会

法蓮華経版木説明板

沼南町のところには、
柏市のシールが貼られている。

県指定有形文化財には、
平成12年2月25日に指定されている。

弘誓院3つの文化財3 銀杏樹

弘誓院柏市指定文化財銀杏樹

弘誓院境内にそびえる雌雄2本の銀杏樹は、
柏市指定文化財になっている。

弘誓院銀杏樹

沼南町指定天然記念物
銀杏

所在 沼南町柳戸六一二
指定 昭和五十年十二月

弘誓院は、
下総第三十三番の観音霊場として由緒ある寺で、
古い歴史と多くの文化財が遺されています。
銀杏は二樹あり、
本堂南側のものが雄樹で目通り幹囲四・二メートル、
西側のものが雌樹で目通り幹囲四・四メートのものです。
昭和五十八年の降ひょうの被害で、
枝がかなり折られましたが樹勢は旺盛です。
雌樹には乳柱が発生しており、
母乳の少ない婦人が、
これを削り煎じて飲むと、
乳に恵まれるという伝えがあります。

柏市教育委員会

銀杏説明板

謎の文化十酉年(1813年)の標石

既に近くで35・37・39番の謎の文化十酉年(1813年)の標石を見つけたが、
弘誓院の境内にもいくつか見つけることができる。

弘誓院謎の文化十酉年(1813年)の標石

本堂に向かって右端の木の根元には、
東葛印旛大師83番と共に謎の33番がある。

ちなみに葛飾印旛大師の標石で、
時々この大きなタイプのものがある。

こちらは、
どうやら前身の下総四郡大師のものみたいだ。

ちなみにこの木の裏には、
普門品読誦太鼓発祥の地と刻まれた新しそうな石塔があったが普門品読誦太鼓ってなんだろう?

法華経の中の観世音菩薩普門品(観音経)読誦の際に打つ太鼓のことなんだろうか?
ちょっとわからない。

弘誓院謎の文化十酉年(1813年)の標石

謎の文化十酉年(1813年)の標石は、
弁財天への参道入口右にもある。

こちらは、
36番

弘誓院手水者

明和二年(1765年)商人講中と刻まれた手水鉢のある手水舎の裏手、
フェンスの向こうの木の根元にも。

弘誓院謎の文化十酉年(1813年)の標石

こちらは、
30番代なんだけど三の次が読めず

弁財天

弘誓院太鼓橋

弁天池に架かる赤い太鼓橋の先は、
平成元年(1998年)の弁財天

弘誓院弁財天

鐘楼

弘誓院鐘楼への階段

道を挟んで、
結構急な階段がある。

弘誓院鐘楼への階段

その階段を上っていくと、
鐘楼が見えてくる。

弘誓院鐘楼

この鐘楼は、
大正期のものらしい。

弘誓院鐘楼

鐘楼のある高台の鐘引き堂から階段を下りていくと、
二本の大銀杏本堂の大屋根を見下ろすことができる。

弘誓院鐘楼から

その景観が歴史そのものであり残したいものとして、
平成26年(2014年)度柏市都市景観賞を受賞している。

延命地蔵尊

対し同

弘誓院延命地蔵尊

本堂に向かって左側の東葛印旛大師第83番大師堂並びには、
これまたいろいろある。

弘誓院延命地蔵尊

その1つが、
延命地蔵尊

弘誓院延命地蔵尊

柏のむかしばなしの⑥、
夜あるくお地蔵さま
の標石がある。

弘誓院延命地蔵尊

以前布瀬地区の観音堂に、
空を飛んだ観音さまの標柱があったがそのシリーズだね。

これにもQRコードが付いているので、
動画を観ることができる。

大師堂並び

不動明王像

大師堂並び
それ以外には南無大師遍照金剛と刻まれた石塔不動明王像が2基。

右側が正徳二年(1712年)のもので、
左側が明治二十六年(1893年)のもの。

弘誓院大使堂並び

右が、
四國八十八ヶ所巡拝供養塔

弘誓院丸彫りの如意輪観音像

次が、
丸彫りの如意輪観音

弘誓院大使堂並び

上が欠けている石像に、
謎の文化十酉年(1813年)36番の標石

東葛印旛大師第83番

弘誓院第83番大師堂


さて、
東葛印旛大師第83番大師堂

第83番大師堂御詠歌額

実際の四国八十八所霊場では、
第83番札所は明治初期の神仏分離より200年も早く神仏の分離が行われた一宮寺

所在地:香川県高松市一宮町
創建年:(伝)大宝年間(701年 – 704年)
開基:(伝)義淵
山号:神毫山
院号:大宝院
寺号:一宮寺
宗派:真言宗御室派
本尊:聖観音菩薩
真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:讃岐一の 宮の御前に 仰ぎきて 神の心を 誰かしらゆう

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
柳戸地区の最後に弘誓院第83番札所

それ以外にも道端の石仏・石祠・標石
熊野神社天満宮

沼南の歴史をあるく14でもある弘誓院3つの文化財や、
謎の文化十酉年(1813年)の標石などなどでした。

東葛印旛大師第40番ポタリングMAP

過去分1はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから


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