天神坂
大正煎餅木川商店を通り過ぎて進む。
ほどなく右手に小径があるのを見つける。
案内パネル
お約束の案内パネルがある。パネルはこの先に『三樹荘』と『嘉納治五郎別荘跡』があることを示している。
小径を進むと直ぐに石段の坂が現れる。
特に何という坂なのかを示すものは何も無い。ただとても雰囲気の良い坂であることは間違いがない。
これが『天神坂』である。
いつものように自転車を降りて押しながら坂を上って行く。
傾斜はそれほどでもないし、石段の高さも大したことはないので、自転車を押して坂を上ることが何とかできるのだ。
鳥のオブジェ
ここは、いつ来てもとてもきれいに手入れがされている。
どうやら『三樹会』というボランティアの方々のおかげみたいだ。
いつもこの坂を楽しませていただいています。手入れが行き届いているので、いつ来ても気持ちの良い坂だなと思わせてくれます。本当にありがとうございます。とお礼が言いたくなる。
右側は竹林、左側はコンクリートの壁。壁側には小さな鳥のオブジェらしきものがある。これは誰かの作品なんだろうか?特に何も説明がないのでわからないままだ。
天神坂の記
その先には『天神坂の記』が書かれたプレートがはめ込まれている。
天神坂の記
かつて我孫子が、北の鎌倉と言われた大正時代、文人達の集った三樹荘と椎の実の降る天神坂は、彼らがこよなく愛したという。
耳をすますと、往時の人々の声が、足音が、轆轤の軋しみが、聴こえてきそうである。
この度、市がこの様な石段となし、私たちの憩いの道として整備された。
遠き日の三樹荘が天神様の境内であった歴史の道、文学の径を私たちも愛し、守っていきたいと思います。
平成三年春 三樹荘主 村山祥峰
天神坂プレート
この三樹荘主村山祥峰氏は歌人で郷土史家だった方。2014年に101歳で亡くなられたそうだ。
今でも祥峰氏の意思は引き継がれているのだな。
それにしても、かつて我孫子は北の鎌倉と言われていた時代があったんだよな。でも鎌倉は南の我孫子とは言われず、鎌倉は鎌倉のままだ。
村上祥峰氏の和歌のプレート
同じく壁には村上氏の和歌のプレートがある。
三樹荘に 夢をつむぎし文人の 足跡しるす 天神の坂
天神坂プレート
今ではこの坂も整備されて石段になっているが、この坂は昔からあったのだろうか?文人たちが上り下りしたのだろうか?
三樹荘の樹木
更に階段の途中には『三樹荘の樹木』の解説があった。
三樹荘の名前の由来である樹齢250〜300年のスダジイ三本と樹齢100年ほどのケヤキ三本が形成する景観は、景観形成重要物に指定されているようだ。
さて、階段を上り切ると、この坂が『天神坂』だと示す石板がある。こちらが坂の入口ってことなんだろう。
というわけで…
石段の坂、天神坂を自転車を押しながら上ったり下ったりするのはあまりお勧めしない。下に停めておいても短時間で戻ってくるんだったら特に問題はないように思う。
まあ停めておくか、押して上り下りするのか、どちらにしても、この坂自体は本当に良い感じだ。1度来てみればその良さは必ずわかっていただけるに違いない。
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