三樹荘の隣
さて、三樹荘の反対側には、かつて嘉納治五郎が住んでいた別荘跡が、天神山緑地として整備されている。
こちらにも解説パネル。『文人たちが憩う別荘地としての我孫子を作った原点は嘉納と言えることから、ここを購入し、保全しています、』、と書かれているが、確かに嘉納治五郎がここに住んだことが始まりと言えるかもしれない。
跡地にはあづまやと立派な嘉納治五郎の銅像がある。
NHKの大河ドラマ『いだてん』で役所広司が演じていたのは記憶に新しい。なので以前よりも親近感が湧く。
嘉納治五郎とは?
大河を見るまではどんな人か良く知らなかったが、嘉納治五郎は講道館柔道の創始者であり、『柔道の父』とか『日本の体育の父』とか呼ばれている。
東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となって、日本でオリンピックを開催することに奔走した姿はドラマでも描かれていた。
1940年東京オリンピック招致に成功したが、戦争で止む無く返上している。
この幻の東京オリンピック招致が決まった際、オリンピック競技会場を手賀沼に誘致しようと動いてくれていたらしい。結局は埼玉の戸田に決まったそうだが、いずれにしても幻に終わっている。
嘉納治五郎銅像
この2020年の4月建立の未だ新しい銅像は手賀沼に向かっており、後ろから見ると、まるで実際にそこに立って手賀沼を見下ろしているかのようだ。
この像は、『東洋のロダン』と称される彫刻家、朝倉文夫の手による石膏原型からつくられたものだ。講道館などにも同じ型の銅像が現存していて、ここにあるのは7カ所目のもの。
銅像の高さは約2メートル以上あるだろうか。台座まで含めると3メートルほどの立派なものだ。
あづまやの嘉納書額
あづまやの方には、屋根の裏側には嘉納書額のレプリカが二つ。
一つには『以人為鏡』。人を以て鑑と為す、他人の言葉や行動を手本にして、自分を正せ、ですな。
もう一つは『力必達』。ちからたっひつ。つとむればかならずたっす、最善の努力は、必ず結実する、だね。
オリジナルは確か小学校にあったはずだけど、どうだっただろう。
手賀沼の眺望
あと『嘉納治五郎が眺めた手賀沼の眺望』と題した大正時代の絵葉書のパネル。
こういった写真をあちこちで見かけるけど、昔は本当に手賀沼の風景はもっと眺めが良かったことをまた確認することになる。
それにしても日が落ちてきた頃に、銅像の背後から写真をとると、なかなか良い感じになる。
まるで違うがクイーンのアルバム『Made in Heaven』のフレディの銅像をふと思い出してしまった。
このようにまだ整備される前のここを見た記憶があるが、随分とキレイになっものだ。
というわけで…
天神坂を上ったところには、三樹荘、そしてこの嘉納治五郎別荘後がある。やはり一度は訪れておきたいところだ。
ここからも手賀沼が見える。見えるが、その風景は昔とは違う。もちろん昔の方が眺めが良いに決まっているが、今は今でまた良いと思いたい。そしてこの先はまた変わるのだろうか?
まあ手賀沼が、これ以上小さくなるようなことだけはないように願いたい。
嘉納治五郎も村川堅固や杉村楚人冠とともに手賀沼干拓に反対していたんだからね。
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