志賀直哉の小説にも登場した滝前不動
志賀直哉は大正14年~15年にかけて『白藤』、『赤い帯』、『鶴』、『百舌』という四つの短篇を発表している。この四つの短篇を集めたものが『矢島柳堂』だ。矢島柳堂は主人公の画家の名前。
この中の『白藤』には、主人公が弟子を呼んで使いを頼む次のようなくだりがある。
矢島柳堂は眼を覚すなり、今西を呼んだ。
「気の毒だが、不動の滝前にある藤を見て来て呉れ。いいか。よく見て来て呉れよ」
志賀直哉『矢島聖堂 白藤』より
この中で登場する『不動の滝前』とは、岡発戸(おかほっと)にある『滝前不動』のことである。
藤の木のつるの巻き方を調べに行かせたとあるが、実際この滝前不動には藤棚がある。ただ志賀直哉が住んでいた頃からのものがずっとあるわけではなく復活させたものだそうだ。
今回はそんな滝前不動に行ってみよう。
新四国三十六番
ここはハケの道はハケの道でも、あれこれとスポットがある西の方ではなく東の方のハケの道沿いの斜面側にある。
細い階段がある。5段ばかりの短い階段を上ると、右側にはここのリーフレットが収められている木のボックスがある。
左には『新四国大師道』の石碑。ここは『新四国相馬霊場』の1つなのだ。
この新や准が付く四国霊場は、四国の大師霊場八十八ヶ所の各札所から御砂を頂いて地元に持帰り、新たな札所に大師さまの像を祀って、頂いてきた御砂を埋めて霊場札所とした所。
以前は全国各地に沢山あったが、今では八十八ヶ所全てが残っているというのは稀。この『新四国相馬霊場』は八十八ヶ所+番外1ヶ所がちゃんと残っている。
さて、石畳を進んで次の長く急な階段を上る右側には『新四国三十六番』の石碑もある。『安永五年正月吉祥日 願主観覚光音』とある。この霊場を開いた長禅寺の観覚光音禅師のことだ。安永五年は1776年だから、かれこれ250年近く昔の話だ。
他にも次の札所を示す道しるべが竹林の上の方にもある。
今はその先は畑になっているので通れないが、かつてはそこを通って次に向かったのかもしれない。
階段前には不動明王の真言が刻まれた石碑がある。
真言は3種類あるうちの1つで、中咒または慈救咒とも呼ばれている『ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン』。
更にその隣には『倶利伽羅竜王像』。不動明王の立像が右手に持つ剣で、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・癡を破る智恵の利剣。一見新しいもののように見えるが、江戸末期くらいのものらしい。
浮彫の『不動明王立像』は不動堂のところにある。そこには『寛政十一年(1799)正月吉日 瀧前山宝積寺』とある。昔は宝積寺というお寺だったんだろう。
今はここには僧侶は居ないが、かつてはちゃんと居たようだ。『林照沙弥 滝前坊 明和八年(1771)五月初十日』という僧侶墓石があった。
滝と松尾芭蕉の句碑
『倶利伽羅竜王像』の横には竜頭があり石組された滝がある。これが『滝前不動』の名の由来なんだろう。
今では水は染み出す程度になっているが、昔は干ばつでも枯れないほど大量の水が流れ落ちていたらしい。
更に横には句碑がある。
清滝や 波にちりこむ 青松葉
松尾芭蕉
松尾芭蕉のものだ。慶応3年(1867)取手の商人有志が建てたものみたいだ。
『美しい清滝川の流れに、風で吹き散った青い松葉が散り込んでいるなあ』という感じか。
但し、芭蕉がここを訪れて詠んだ句でも何でもない。清滝は京都嵐山の保津川の支流清滝川のこと。
死の三日前に、
清瀧や 浪にちりなき 夏の月
松尾芭蕉
という句を練り直して生まれたものみたいだ。芭蕉最後の句って、
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
松尾芭蕉
ではないのだな。
階段を上がろう
階段を上がっていくと狛犬が階段終わりの脇に左右置かれている。
『文久元年(1861)12月吉日』。
正面には『不動堂』がある。
右手には藤棚。テーブルと椅子がある。
左手にも竹や切り株でさまざまな形につくられた椅子がある。
不動堂の横には大師堂がある。高知県土佐にある独鈷山伊舎那院青龍寺が映しの元寺。御詠歌が書かれた板がある。
わずかなる 泉にすめる 青龍は 仏法守護の 誓いとぞきく
青龍寺御詠歌
不動堂
この不動堂文化13年(1816)のもの。その後に何度かは改築されているはずだ。
元々の屋根はもちろん茅葺だったみたいだ。
なかなか立派なもので彫刻が素晴らしい。
全てがその頃のものではないかもしれないがなかなか良い感じである。
ここに掛かる正面軒先に吊り下げられた仏具の一種『鰐口』は、『嘉永三年(1850)正月二十八日 別当白泉寺 粉川市三作』。
粉川市三という人は鋳物師で成田山新勝寺不動堂の鰐口もこの人の手によるものらしく名工だったようだ。
手水鉢が置かれている。『元治2年(1865)5月』とあるが、4月には江戸時代最後の元号『慶応』に入っていたはずだけどね。
左手には鳥居がある。脇には敷石奉納の石碑。大正に入ってからのものだ。
階段を上っていく。
右手に稲荷社がある。
更に上るとこんな立て札がある。
先は畑なので進めない。
ただ左右の竹林の中を歩けるように整備されている。
竹林の中を歩くのはなかなか気持ちが良いものだ。
しかもとても歩きやすくしてくれているのでありがたい。
ちゃんと階段には竹の手すりもあるのが良い。
左右に階段がつくられているがこれは外に出る階段になっている。
下っていくとハケの道に出る。
この竹林はNPO住みやすいまちづくり研究所の方々が整備されているらしい。
こういう方々がいらっしゃるから竹林散歩も可能なわけでありがたいことである。
というわけで…
滝前不動の紹介でした。ここに出てくる『新四国相馬霊場』は番外や大師堂ではないが101番も含め随分前に1度自転車で全て廻ったことがある。この滝前不動が実はそのキッカケだったところなのだ。
石碑を見て『何だこれは?』と調べてみて、どうせなら全部廻ってみようと思ったのが最初。夏の休日は毎週自転車で出かけてあちこち訪ねていたことを思い出した。
そういえばここに来る途中に『滝前不動 新春竹宵』のポスターがあった。竹灯籠ライトアップをするみたいだ。今年も実施されるのだろうか?我孫子市市制50周年事業の1つみたいだけど、一応情報。
期間は2020/12/19(土)~2021/1/11(日)と本日からで、ライトアップの時間は16:30~22:00となっている。週末は行って確かめられないが、何日後かに行ってみようと思う。
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