ハケの道へ
ゲートスポットから若松の交差点を斜めに抜け、
ピザ屋さんの先にある細い道に入るとそこが『ハケの道』だ。
以前ハケの道のことを書いたことがあるが、
この道沿いにはさまざまなちょっとした(ある意味地味な)スポットがある。
それらの多くが、
今回の『我孫子アートな散歩市』の展示会場にもなっている。
旧村川別荘
最初の場所は、
ポタリングの途中でたまに立ち寄る『旧村川別荘』だ。
訪れた時には、
4人のアーティストの3作品が展示されていた。
1つ目が、
南門を入った先にある池のところ。
植野智子 – 揺蕩う
さて『揺蕩う』、
どれくらいの人が読めるだろうか?
フリガナはタイトルのプレートにはなかったけど、
これは『たゆたう』または『たゆとう』って読むんだよね。
揺れるに放蕩息子の蕩、
心があれこれ迷って定まらないとかゆらゆら揺れ動いて定まらないみたいな感じ。
放蕩息子といえばストーンズの『Prodigal Son』をすぐに思い浮かべるが、
まあ今は全然関係ないな。
池にあるのは何だろう?これも作品の一部なんだろうけど、
蓮の花の花びらのイメージなんだろうか?こちらはゆらゆらと池の中で揺れている。
そして池の周りには、
蓮の花が散った後の花托(ハチスと言ったりするよね)がいくつも地面に刺さっている。
土から出てきたというよりも、
空から降ってきて刺さったという感じだ。
タイトルのように揺蕩うことはない、
金属でつくられた花托。
花托は花が散った後の姿だが、
それなりの美しさがある。
蓮の花が咲いているのも好きだが、
花托をみるのも結構好きかもしれない。
そしてこれはこれで、
また違う美しさがある。
決して揺蕩うことはないが、
違う意味で揺蕩うイメージを感じる。
それは作品が揺蕩うのではなく、
それを見ている自分が揺蕩うイメージだ。
蓮といえば、
この近くでいくつか見られる場所があるのだがまだ時期ではない。
きっと今年の夏も、
何回も蓮の花を見に行くだろう。
いろいろあっても、
今のところきっと蓮の花は今年も咲くに違いない。
でもそれは、
あたりまえのことではないのかもしれない。
というわけで…
今回の『我孫子アートな散歩市』は、
N – 植野智子 – 揺蕩う。
揺蕩うことのない花托と、
ゆらゆら揺れている池の中の色を失った花びらという感じだ。
違和感なく池と池の周りに配された作品、
なくなると寂しくなるだろうな。
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